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【短編小説】秋の散歩
川面にゆるやかなアーチを描く朱塗りの橋を、疑いもなく渡り終わった場所で、真由はその橋が「はりまや橋」ではないことに気付いた。
橋の側(かたわら)に石の構造物が立っていて、「天神橋」と書かれている。今回の旅行があまり好奇心を刺激しなかったこともあって、はりまや橋をはじめとするこの街の観光情報をまるで頭に入れていなかった。はりまや橋の実物が、川に架かっていない道路沿いの小さな橋であることなど知る由もなかった。
天神橋の南詰めには由緒ある社(やしろ)でもあるのか古めかしい鳥居が立っていて、川堤から一段下がった参道が西にのびている。鳥居のそばの掲示板に祭神は菅原道真公とあることから、橋の名の由来と、鎮まっている神社が分かった。
川べりには鮮やかに栴檀が色付いている。本殿か拝殿があると思われる奥まった場所は木々に隠されていて、そのさらに向こう側には、スタジアムらしい建物と黄金色に色付いた銀杏が見えていた。思ったよりは規模の大きそうな天満宮だった。
どうしてこの土地にこのような天満宮があるのか不思議に思い、夫に聞いてみた。
「息子の高視が土佐に流されたからだろう」
即答だった。旅行に行く前には、入念に旅先の情報を集めておく彼らしかった。
夫はここ数年は歴史に凝っている。幕末から明治維新にかけてが特に好きで、年に一、二回のペースで京都旅行に付き合わされている。今回は、一度は坂本龍馬の生誕祭に合わせて、生地の高知へ来てみたかったということでこの旅行となった。真由自身は歴史にも、坂本龍馬にもそれほどの関心はない。
橋を渡ってくる最中にも、「ここが龍馬が泳いだ鏡川か。大雨の日に泳ごうとして近所の年寄りにやめるように言われても、『どうせ濡れるがやき』って意に介さなかったらしいぞ」と夫は語っていた。気持ちの小さな高揚が伝わってくる。夫とは反対に、真由はどこか冷めている自分を感じていた。
いくつかの鳥居をくぐって、参道を奥へと歩む。昨夜夫が高知市街地の散策ルートをなにやら提案していたが、真由は言われるがままに付いていこうとだけ思って、生返事で聞いていた。この天満宮はちょうど宿泊していたホテルの対岸にあたる場所のようで、ホテルの高層部分が川向こうに見えている。このあとどういうルートを辿るのか分からないが、あまり長く歩くのは気が進まなかった。
参道には屋台がいくつか出ていた。屋台の屋根やのれんには、たこ焼きやいか焼き、ベビーカステラ、わた菓子といった文字が書かれている。スーツや晴れ着で着飾った親子連れが何組か目に付いた。七五三のお参りだ。自分たち夫婦に子どもがいないせいか今ひとつピンとこなかったが、十一月ともなればそういう時季なのだろう。
境内は美しく整えられていた。手水舎で手を清め、拝殿へと向かう。曲水のように引き込まれた小川には、小さな太鼓橋が架かっていた。橋を渡ると、センサー感知なのか「とおりゃんせ」のメロディーが流れた。
拝殿前の片隅には、複雑に枝を広げた梅が植わっていて、「飛龍梅」と説明書きがあった。若い頃に友人と行った太宰府天満宮にも、京に残してきた邸宅から、道真を慕って九州まで空を飛んできたという「飛梅」が植わっていた。太宰府の参道には飛梅にちなんだ「梅が枝餅」の看板を掲げた店が何軒も軒を並べていて、そのうちの一軒でお茶を飲みながら、餅を口にした。道真といえば梅なのだ。その割には数年前に夫と行った京都の北野天神には、あまり梅のイメージがない。というよりは、北野天神に夫と行ったという記憶自体がなんだかぼんやりとしている。
拝殿近くでは巫女装束の若い女性が忙しそうに立ち働いていた。白の衣装に赤の帯が鮮やかで、みな若々しく美しかった。アラフィフの範疇に入る真由より二まわり以上年下だろう。博多人形のようにパーツの小さい丸顔と、ヨガのインストラクターという自然と体が鍛えられる仕事をしているせいか、真由は実際の年齢よりも若く見られる。体型はこの二十年ほとんど変化していない。世間で言われている「美熟女」「美魔女」の部類に入るだろう。それでも、自分なりに年齢的な衰えを感じることも増えてきている。自分が失ったなにかを持ち合わせていそうで、巫女装束の女性たちは眩しく思えた。
賽銭を投げ入れて鈴を鳴らし、柏手を打って手を合わせた。拝殿の内部からは乾いた木の香がして、清々しかった。境内から川べりに抜ける小道沿いには椿や笹などの埴裁が植えられている。
「おかーさん、枝にセミの抜け殻がまだひっついちゅうで」
「この夏は長かったき、まだあるがやね」
母と子のたわいのない会話が聞こえる。抑揚や語尾は耳に馴染みのないものだった。半世紀近く前は自分も親とあんなふうに会話をしていたのか、もう思い出せない。
椿の枝になぜか、半分に切った蜜柑がいくつか突き刺さっていた。不思議に思って見ていると、頭上に広がる楠の梢から、ひらひら、ぽとりぽとりと緑色の小さな丸いものが二つ降ってきた。二羽のメジロだった。
降ってきた二羽のメジロは一度、椿の茂みにひそんだ。隠れながら、枝をちょんちょんと飛び渡っているのが気配で分かる。すぐにやや小さい方の一羽が姿を現すと、刺された蜜柑の果肉をついばみ始めた。やや大きいほうのもう一羽が、囀りながら辺りを警戒している。なわばりのアピールなのか一通り囀ると、大きめの方も蜜柑をついばみ始めた。ついばみながらも時折、辺りを警戒するように囀っている。小さい方は特に周囲を気にする様子もなく、ひたすら蜜柑をついばんでいる。
夫は二歳年下で、元はインストラクターと受講者という関係だった。「呼吸を整える方法を知りたい」という理由で真由の教室に来た夫は、多趣味もあって会話の引き出しが豊かだった。いつの間にか、インストラクターと受講者という関係を飛び越えていた。
オートバイ、バンド、ダイビング、マラソン。夫は結婚してからも次から次へと新たなものに興味を持った。夫がなにか新しいものに興味を持つたびに、真由もつき合えるだけつき合った。大型バイクのタンデムシートにしがみつくようにして行った信州へのツーリングや夫が好きなバンドの日本公演、沖縄でのダイビングのCカード取得にも付き合った。
好奇心旺盛で、活動的なところが魅力的だった。しかし、長く一緒に暮らすうちに、小さな疑問が芽生え始めているのも確かだ。
天満宮を後にして、川沿いを西へ歩く。
「この後は山内神社に寄って、それから生家跡へ行って生誕祭のイベントでも見ようか」
勝手知ったるように夫が言った。
スタジアムらしい施設の西側で、今度は朱塗りの欄干などない、いかにも実用一辺倒といった構造の橋を渡る。天神橋を渡る時にはしていなかった潮の香がわずかにしている。汽水域に近く、満ち潮の影響を受けているのだろう。
水中に時折、日光とは違う光の反射が見える。目を凝らすと、川底を削るように身をくねらせて泳いでいる魚が見える。
「香魚(あゆ)だ。こんな街中でも棲んでいるんだね」
少し感嘆した口調で、光の正体を夫が教えてくれた。
制服姿の女子高校生の一団が通り過ぎる。
「結局どうしたが? 看護科に願書出したが?」
「親が県外はやっぱいかんってゆうがって」
受験生だろうか。
「あの頃に戻れるならどうする? 俺は建築学科を受け直して、建築家を目指すかな」
女子高生たちの会話から連想したのか、夫が訊いてきた。
「別にあの頃に戻ろうとは思わないけど…」
訊かれてみると、特にやり直したいなにかがあるわけではなかった。それでいて、今までの生き方が満足かと問われれば、完全に肯定できる自信はない。
「あの頃じゃなくていいから、もう少し頑張ったら良かったと思う頃に戻りたいかも」
それはいつのことだろう。なんどかあったはずだが、具体的にいつなのかはすぐには思い浮かばない。
それほど歩くと思っていなかったのでヒールが高い靴を履いている。かかとが靴ずれして小さく痛みだしていた。まだ歩かなければならないと思うと、少し憂鬱になってきた。
川面に映る秋空は高く、風はやや肌寒く感じる。白秋から玄冬へと季節は確実に移り変わりつつあった。
「のんびりした土地だね。定年後はこんなところで暮らしたいな」
夫がまんざらでもなさそうに言った。沖縄でのダイビングを思い出した。海中にゆらゆらと壁のようなものがあった。そのゆらゆらの向こう側はすぐそばの海中のはずなのに、蜃気楼の向こう側のように実体のない、危うげな場所に見えた。「水の温度差で起こるサーモクラインという現象ですよ」。水から上がると、そうインストラクターが教えてくれた。
良い所かもしれないけれど、私にはここで二人で暮らすのは無理だ。真由は立ち止まった。気付かず夫は数歩先へと進む。川風が髪を乱した。
「ねぇ」
真由の呼びかけに夫は足を止めて振り返った。顔にかかった髪を掻き上げて耳たぶにかけながら、真由は精一杯優しい笑顔を浮かべて問いかけた。
「ひとりで?」