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【短編小説】ある施設

 くぐもった衝撃音とともに、真夜中に自宅が揺れた。
 「何やったがやろうな、夜中のは」
 そう語りかけながら飼い犬のラッキーに朝ご飯をやっていると、蓮次れんじのスマートフォンが鳴った。漁協の地区長から呼び出しだった。
 「地区長が俺に直接用件とは珍しいな」
 ラッキーに話しかけるが、返事はない。ラッキーはラブラドール・レトリバーの老犬で、ゆっくりとエサを咀嚼している。もともと誰にも吠え掛かることのないおとなしい性分だったが、年がいってなおさら聞き分けの良い、おっとりとした犬になっていた。
 漁協へ行くと地区長のほかにスーツ姿の見知らぬ男と、黒のツナギを着たなんとなく覚えがある男が蓮次を待っていた。なにか断りづらいやっかいなことを押し付けられそうな雰囲気が漂っていた。
 地区長の用件は、蓮次の漁船で岬の先にある「施設」まで、ツナギを着た男を案内してほしいということだった。男は名刺を差し出した。「保守」とか「連合」といった単語の入った長ったらしい名前の団体の地区幹部という肩書きと、「浜野明弘」という名前が印刷されていた。
 名前を見て蓮次は男に覚えがあることに合点がいった。いつの間にか中退していた、高校の同級生だった。成績は下のほうで、部活にも所属してなく、地味でどちらかというといじめの対象にされがちだった奴だ。蓮次自身は浜野と話をしたことはなく、彼の中退もずっとあとになって耳にしたが、当時はたいして興味を覚えなかった。
 地区長は蓮次に、「出しゃばったことはすな。すべては浜野青年統括部長の指示に従え」と念を押した。地区長の、浜野に対する気の使い方に、裏でなにか面倒な力が作用していることが一目瞭然だった。スーツの男は一言も喋らなかった。
 「施設」とは、地域の住民が便宜上そう呼んでいる、岬の先にある国の施設だ。周辺の海域は進入禁止になっていて、その近くでは漁も行えない。岬の先への道は、関係者以外通行止めとなっている。
 住民が便宜上「施設」と呼んでいるのは、なんの施設か一切明らかにされていないことによる。建設時、住民には国と県から建てるという事実だけが告げられた。事前の説明も建設の賛否が問われることもなかった。住民のうちの何人かは役場などに説明を求めたが、そういった住民は公務執行妨害などの言い掛かりのような罪で逮捕・拘留されたり、密かに口封じの媚薬でも嗅がされたのか不自然に沈黙したと思ったら自宅が建て直されたり修繕されたりした。そしてそのうち、誰も何も言わなくなった。新聞離れが進み、骨のある報道番組が減った数年前から、なんとなく「お上」のすることに疑問を持ったり、反対できないような風潮が蔓延していたことも無関係ではないだろう。
 「お前、一緒の高校やったな」
 「施設」に向かう漁船の上で、浜野が蓮次に訊いた。彼は蓮次のことを覚えていたらしい。「そうやな」と応えたものの、会話が続かない。同じクラスになったことはなく、誰が共通の知人で、どの教科を同じ先生に学んだかも見当がつかない。浜野は高校を辞めた後、アルバイトなどを転々とするうちにある人に出会い、今の組織に取り立ててもらったと問わず語りに語った。どこか「虎の威を借る」という言葉が似合いそうな、尊大な物腰が鼻についた。気の小さい人間が分不相応に力を持ってしまったために、自分をより大きく見せようと頑張っている感じだ。
 浜野の半生の話もそれほど長いものではなかった。彼が語り終えると、気まずい沈黙が流れるままに蓮次は船を進めた。
 進行方向になにか白いものが浮かんでいた。みるみる近づいてきて、蓮次はぎょっとした。人だった。
 白衣を着た女性がうつぶせに浮かんでいた。背中から頭部は水面に出ているが、海中にだらりと両手を垂らしている。どうみてもすでに死んでいる。
 とにかく引き揚げてやらなくてはならない。今までにも水死体は二体、引き揚げたことがある。漁をしていれば、まれに漂流している飛び込み自殺者の死体などを見つけてしまうものだ。蓮次が船足を緩め、ブイに船を係留する時に使うフックのついた竹棒で死体を引き寄せようとすると、浜野が強い口調で「余計なことをするな」と言った。
 「そういう訳にはいかんやろう。人やぞ」
 「俺の受けちゅう指示はただ見てくるだけや。そのほかは一切は禁じられちゅう。お前も家族が大事やったら、俺の指示に従え」
 半ば脅しだった。蓮次は死体の揚収を諦めた。死体はそのまま、後ろに流れていった。
 そういえば、さっきから何かがおかしい。初秋のこの時季、海辺の雑木林からはツクツクボウシの鳴く声がうるさいくらいに聞こえている筈だし、浜辺にはイソビヨといった海辺の小鳥や、滑空するトビが目に付く筈だ。
 生き物の気配がまるで感じられない。
 「施設」が目視できる距離に近づくまでにさらに二体の死体が浮いていた。一人はさっきの女性と同じ様な白衣を来た年輩の男性、もう一体は鼠色の作業服を来た若い男だった。二体とも気の毒だが、漂流していくにまかせた。
 近くで見た「施設」は、かつて入院したことのある大学病院を一回り小さくしたような、白く整った外観の建物だった。違和感を感じたのは、建物の屋上から銀色の円筒形の物体が突き出ていることだった。天体ドームやレーダードームにしては楕円すぎる。円筒形には日本語でもアルファベットでもない文字らしきものが書かれていた。やがて違和感の正体に気付いた。「施設」の窓ガラスが何カ所か割れ、壁面にもヒビが入っている。円筒形の物体は建物の構築物でなく、空から落下してきて突き刺さったもののようだった。夜中の揺れは多分、このせいだろう。
 円筒形のものはそういったものなのか、実は爆発するはずのものが不発に終わったのかは蓮次には判断がつかなかった。さっきからの奇妙な静寂も、円筒形の物体のせいなのか、破壊された「施設」からなにか禍々しいものが流出したせいなのかは分からない。
 浜野のツナギのポケットからなにかの警告音が鳴った。船を停めるようにいった。
 「施設まで行かんでえいがか?」
 「えい。これ以上近づくと命に危険が及ぶはずや。あいつら、俺を使い捨てのモルモットにするつもりらしいが、そう思い通りにさせてたまるか」
 そういえば、なぜ浜野が来ることになったのか。重大な事案であれば海上保安庁の巡視船や国軍の艦船が来てもおかしくない。衛星のカメラやドローンで状況を確認することもできるはずだ。「人間が近づく」ことに、何か隠された目的があると思うと、蓮次は身の毛がよだった。
 見てはならないものを見たようだ。「施設」自体かもしれないし、「施設」が他国から秘密裏に何らかの攻撃を受けたことかもしれない。
 「戻るぞ。戻ってから何か聞かれたら、俺に口裏を合わろ。施設には俺一人が上陸したし、俺が上陸しちゅう間、お前は沖合で俺からの合図があるまで待ちよったことにする」
 彼なりの気遣いらしい。
 「高校の時俺をいじめた奴らのうちの一人やったら、巻き添えにしてもええがやけどな」
 続けて浜野はそう独りごちた。
 漁協に戻ると、浜野はスーツの男と会議室へ入っていった。
 「お疲れやったな。もう帰ってええらしいぞ」
 地区長の一言で、蓮次は家路に着いた。
 その夜、訪問者があった。
 夕飯を終えて、くつろいでいると庭にいるラッキーが珍しく唸り声を上げた。玄関の呼び鈴が鳴り、ドアを開けると昼間のスーツの男が立っていた。
 「聞きたいことがあるんですが、ちょっと上がらせてもらっていいですか」
 家に上がらせると危険な臭いがした。かといって拒絶しても危なそうだ。蓮次が玄関で躊躇していると、ラッキーが猛烈に吠え始めた。ラッキーにつられたのか、両隣の飼い犬も吠え始めた。
 「これ、静かにしぃ」
 右隣の正二じいさんが庭に出て、クロをなだめる声がする。クロは吠えるのをやめたが、ラッキーはまだ吠えている。
 「おーい、蓮次よぉ。ラッキーがそんなに吠えるのは珍しいな」
 塀ごしに正二じいさんが呼び掛けてきた。
 「ああ、ちょっと客が来たのに驚いたみたいや」
 「そうか、来客か。ラッキーが静かにならんと、リキも吠えるのをやめんようやなぁ」
 リキは蓮次の家の左隣の犬だ。クロは落ち着いたが、ラッキーとリキはまだ吠え続けている。
 「今日のところはまあいいでしょう。場合によってはまた来るかもしれませんが」
 そう言うと、男はきびす返した。男の気配が消えると、ようやく犬たちはおとなしくなった。
 数日、蓮次は用心深く行動した。漁に出た時は僚船とこまめに無線連絡を取り、海上で孤立しないようにした。夜は妻と娘を連れて、同じ集落の両親の家で過ごすようにした。
 幸いなことにその晩以降、スーツの男が現れることはなかった。無言の圧力で脅して、口封じすることが目的だったのかもしれない。
 「施設」へ行ってから二週間が経った日、朝刊を開いて蓮次は驚いた。社会面の下のほうに小さく、浜野が飲酒運転の自損事故で死んだという記事が掲載されていた。

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