心が貧しくなければ楽しく生きていける。
貧乏って言葉で思い浮かぶのは
お金がない人。のイメージがつよい。
わたしは今でこそ普通の中の普通に
生活をしていると思うが
幼い頃は
家庭が商売人バリバリの家庭だった為
いわゆる鍵っ子。
家に帰ると親は働いており
机の上には
冷めた夕飯が置かれている
とても、寂しい家庭だった。
今思えば。
弟と2人でご飯を食べて
2人で床につく。
それが当たり前だと思っていたし
あんまり気にもしていなかった。
無くさない様に首からぶら下げる家の鍵を
めちゃくちゃかっこ良く思ってたし
街の至るところの商店で
おっちゃん。見て!鍵っ子やから
鍵持ってんねん。キラーン
と鍵を見せびらかして
歩き回っていたのが母にバレた時に
(誰がチクったかは
あまりにも言いふらし過ぎて今だに謎)
尋常じゃないくらいブチ切れられた。
そんな商売人の家で育っている私は
やはり不安定な家庭だった。
それは家の収入の話だ。
良い時もあれば悪い時もある。
その言葉がまじでぴったりと当てはまる
そんな家庭だった。
悪い時は思い返せば凄かった。
家中のライフラインが止まる。
普通の家庭では起こらない現象が
起こっていたのである。
典型的な貧乏な家を、
私は子供の頃に経験している。
だけど明るかった。
私を含め家族みんなは明るかった。
底抜けに明るかった。
電気が止まった時は少しでも
明るくしようとキャンドルを焚いた。
それも良い匂いの方がええよな。と
アロマキャンドルで匂いまでつけてみた。
なんともムーディーな時間を過ごしていた。
私が思春期の時にも
不安定さはまだ少し継続していた。
そんなに不安定な状態でも私の家族は
飲食という職業に誇りを持っていた。
人と出逢って縁が繋がる
そんな自分のお店が
お金云々ではなく大好きだったようだ。
私の思い出の中に
ひどく残っている出来事がある。
中学時代から髪を染めるのが好きだった私は
ある日思いっきり染めたくなって
ブリーチに手を出した。
コンビニで買えるブリーチ剤を買って
自分で、髪の毛に塗っていく。
今から起きる自分の髪の毛の変化に
わくわくしながら
手際よく液を塗る。
15分くらいたっただろうか。
そろそろ流さないと
色抜けすぎるなぁと思い
風呂場に向かう。
シャワーを出して洗い流す。
新しい自分への変身。
など思っていたのだろうか。
しかし。確認すると水しかでていない。
ガスの電源切れてるなぁと
ボタンを押そうとすると
何故か点滅していた。
ガスが止まっていたのである。
パニックになった。
ガスが止まるのは今までも何回かあったが
なんで、今日なんやと心底思った。
そうこうしてる間にも時間はすぎて
ブリーチ液は浸透している。
近くに風呂屋はない。
あったとしても
こんな状態で入れてくれるわけない。
定かではないが夏ではなかったはず。
一刻とすぎる時間の中で
このままいくと
髪の毛が全部溶けるんやないかという
恐怖と闘いながら
私は水で流すことを決意した。
洗い流してる時に私は思った。
いつか絶対に貧乏マニュアル本書いて
ブリーチする時はガスが通ってるか
水が通ってるか確認する事って書こ。
絶対ベストセラーやわ。
そう考えながらつめた〜い水で
髪の毛を洗った。
お望み通りに新しい自分に変身していた。
田舎のヤンキーになっていた。
帰宅した母に腰を抜かす程驚かれ
あんた、誰や!!と言われ
田舎ヤンキー女が出来上がるまでの経緯を話して
2人で爆笑していた。
いやいや、ガス代ちゃんとはろとけや。
不安定貧乏な私たち家庭がうんだ
家族のコミュニケーションである。
私は今思い出してもなんであの状態で
あんなに明るく生きていけていたのかが
不思議で、仕方ない。
でも根底の明るさは何も変わっていない。
そう思っている。
辛い時でも目線を変えれば
なんとかやっていけた。
今も尚、飲食業界で家族は
頑張っている。
コロナ禍で大変だが明るさは
昔から何も変わっていない。
協力金増えたわ〜ラッキーと笑う母の
裏側に苦しみがあるのも
大人になった私には理解できる。
あの頃と違うのは
もうライフラインは何年も止まっていない。
昔の私はしたくてもできない経験を
していたんだな。と思うことにする。
普通の人より私は経験豊富なんだな。
そう思ってこれからも生きていく。
裕福な家庭じゃなくても楽しく生きていた。
心が貧しくなければ
全て笑い話になってくれる。
貧乏マニュアルの本は出版できなかったが
noteで書き残せたから
良しとするか。
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