映画パドルトンの感想
映画をよく観るのですが、
観たあと忘れていくので感想を残していこうと思う。
文章を書く練習にもなるし
絵を描く練習にもなる。
さて第1回目はNetflixで配信中の映画
「パドルトン」にしようと思った。
あらすじを言うと、
パドルトンは人畜無害なおっさん2人の小さなお話ですおわり。
ただ、お話…というのはあまり正確ではない気がする。
お話というと想像力をもってして、なにか事件が起きて
素敵な展開がありそうな感じをイメージするが、
パドルトンはただ
事実があって、おっさん2人がそれを見つめるだけの映画だ。
おっさんは世間から嫌われる存在だ。
まるでファンタジー世界のゴブリンやオークのように、
粗暴で、下品で、不潔で、
およそ美というものを理解しない存在だと思われている。
まあ大体あってる。
でもなぜそいつら(ゴブリンとおじさん)が嫌われているかというと、
自分たちにしか通用しない基準を用いて、
他の生物と一緒の世界に住むからだと思う。
一緒に住むと、
他の生物との摩擦を生んでしまうのだ。
オヤジギャグなんてまさにそれだ。
では一緒の世界に住まわない場合はどうか。
それは驚くほど穏やかに見えた。
2人のおじさんは、定職にはついているけれど
特に誰とも関わらない。
友達も、恋人も家族もいない。
ただ週末にパドルトンという2人で考えた独自ルールの壁打ちテニスをして、
ピザ焼いて、毎回同じB級カンフー映画を観る。
毎週おなじ。
2人にはその世界が全てなので、なんの不満もない。
摩擦が起きていないので、なにかに文句をたれることもない。
他と比べることもないので、その生活を惨めに感じたりもしない。
どこからも流れ込まない、どこへも流れ出ない、
山の静かなカルデラ湖を眺めているような気分になった。
自分のようなおっさんが、
この世で生きるときの
1つの答えをみたような気がした。
僕は自分がおっさんであることが嫌だ。
無理やり若者と絡もうとして、
悲しい結果になっている人を何人もみた。
僕はあれになりたくない。
だが、なる。
なるのだ。
気づかないうちに、なるのだ。
怖い。
かっこ悪い。
嫌だ。悲しい。
でもそこから逃げ出さなくていいのだ。
他の生き物と摩擦を産まないために、
三重県とかを大きな壁で囲って、
そこにおっさんを詰め込まなくてもいいのだ。
おっさんはただ世界を小さくして、
そこで生きればいいのだと。
小さな世界では、B級カンフー映画と、
ピザと、パドルトンがあればこと足りる世界。
その世界は、おっさん1人1人の
好きに構築してよいのだ。
であれば、
もう悲しくなんてない。