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仕事というものについてふと思うこと。

仕事ってものって、どんな仕事でも素晴らしい一面があると思うんですが、上下ってものは一っっ切ないと思うんですよ。それぞれ感動ポイントありますし。

うちの実家の出発点は大家族農家で家もかまどのあとの残る平屋、トイレも長いことくみ取り式でした。いつもじいちゃんか父親が長い柄杓でもってでっかいバケツに糞尿をくみ取り、畑に肥料として撒いてました。

びっくりします?今時、そんな家、あるんかー?!って。でも30年ほど前はうちのまわりはわりとそんな感じで、家族のために言っとくと、特段貧しいからくみ取り式、というわけじゃなくうちはのどかな田舎暮らしでまわりの友達のうちもほとんどがそんな感じで、CMで見るような家を建ててる家庭や糞尿を吸いにバキュームカーがくる家庭は、逆にキザだ、とさえ思われても自然な土地柄でした。

自分はじいちゃんと父のそれをすごく尊いという思いで見ていました。人糞を肥料として使う効用も南方熊楠的な見方でいうとすごくいいことあるよ!ってことだと思いますが、(多分いいことある)実際、夏なんかは自分のお尻の数メートル下で、生き物が生まれ、大賑わいです。何から湧いてるか?って?自分の出したものからです。それをじいちゃんや父親が柄杓でもって、一杯一杯すくってはバケツに入れ、耕運機で近くの畑まで運んで撒くんです。フタ付きのどでかいバケツは3〜4個あったかと思います。畑までは7往復くらい。人がくみ取るときはしばらくトイレの桶がオープンな状態なので、ずっと鼻を突くようなにおいが漂います。当時の私は、たった一人にその仕事を任せるなんていても立ってもいられず、バケツが持てるくらいの力がつくと、そばをウロウロしては手伝ったものでした。家族が成長すればバケツを運ぶ回数も増えるし、寒いから暑いからと汲み取りをやめてしまうわけにもいかない。文句一つ言わずにそれを続けてくれたじいちゃんと父には尊い後光が差して見えました。

今はタンクの中身を吸いに、バキュームカーがきてくれますが、それでもその時多少におったりします。今の時代、くみ取り式の薄暗いトイレがだめな方も多いと思います。実際、それが理由で、とある親戚の女性はうちにくることも迷ったそうです。その気持ち、よくわかります。でも元々本来用をたす場所はそういうもので、それを処理するのもすごく重要な労働です。毎朝ゴミを集めてくれる人たちにもじいちゃん達と同じ尊さを覚えます。スーパーでめちゃくちゃ詰め方のうまい店員さんに出会うと感動すら覚えます。弱って動けない体を、あったかい蒸しタオルでていねいに拭いてくれる看護師さんは天使の姿にしか見えません。

世の中には、あんな仕事こんな仕事あると思いますが、どんな仕事も上下なく尊い。そう思うのです。こんな職業だから優れてる、とか、この仕事はえらい、とか、ないよな、とずっと思ってます。

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