すぐ返ってくる成果を求めるな【Vと麻雀】

メチャクチャに集中して麻雀を打つことがたまにある。
相手の捨て牌を必死で読み、押し返すつもりで手出しツモ切りを確認し、脇にも通る共通安牌を確保しながら、脳が焼き切れるほど思考を巡らせる。

それでも、麻雀という競技は時に非情だ。
押し返しの最後の一牌、通らばリーチの牌が通らない。
決死の覚悟で早めに手じまいし、ベタオリを選択しても自分以外の三者が前へ出てきて共通安牌が枯れる。
トップ目で無理する場面ではないのに大物手が来て手牌がブクブクになり、望まぬ正面衝突を強いられる。

「やめてやらぁ、こんな運ゲー」
何度そう思った事かわからない。特に20代前半の頃は頭に血が上り、家にあった麻雀牌とマットをゴミ袋に叩き込んだこともあった。

それでも、その頃の自分より今の自分の方が絶対に麻雀が強い。
そう言い切れるのは、ある種の「諦観」を手に入れたからではないかと思う。2着なら2着に全力を尽くす、この局は配牌から全力でオリ切る、など。

もちろん、俺が弱いから負けたというのは大前提だ。
ただ、今は「負けるにしても、もっとマシな負け方があったろう、例えばあの放銃…」と反省することが出来る。運のせいにして成長を止めてしまえば、一生の趣味にしようと思っている麻雀と俺との関係性が淀む。

今日はそんな麻雀と、Vtuberのお話。

・「反応」「特別」を求めるファン

”推しのタグツイートをしているのに、ふぁぼもリプもつかない…病む”
”俺のリプだけ返してくれない!差別!”
”あんなに応援してるのに、何の反応もしてくれない”
”ライバーならファンサービスするのが当たり前だ!”
”俺の配信コメントが飛ばされた!盛り上げてやってるのに!”

こんなことを思う人は一定数いると思う。
ここまで極端な思いではないが、俺自身も
「あー反応なかった、残念」
くらいの事は思う。思うだけだが。

実際にこの気持ちをSNSで発信する人がいる。
別に犯罪じゃないので”ただちにやめろ”とは言わないが、不毛だとは思う。

「努力に対して相応の成果がある事」なんて、世の中にそんな多くはない。
相応の成果があってしかるべき、と考えるのは間違っていないと思うけれど。

仕事にしても、人間関係にしても、推し活にしても、不等価な交換、もしくは不等価と自身が感じる交換で成り立っている。

レストランで1000円払えば、1000円のハンバーグセットが来るのは当然。
しかし、スタッフのサービスや店の居心地が、あなたの感じる「1000円の価値」に達しているかどうかは正直、感じ方や運に左右される。

決まった給料をもらっている会社員が、その月は100万の価値のある仕事をした、次の月は2万の価値のある仕事しかしなかった。
どちらの月も月給が20万であるならば支払われるのは20万だ。
※インセンティブ・昇給などの付与は除外して考えます。

タレントやライバーへのファン活動などもっと不確定だ。
(5000円払えばファンクラブへ入会できる、3000円のグッズを買えば握手会に参加できる、などの金銭的な決め事の中のファクターを除いて)
ライブ配信でコメントする、スパチャを投げる、SNSにふぁぼする、RTする、ファンアートを描く、推しの宣伝をする。

これらの活動は全て、ファンとしてのあなたの選択で行ったことで、誰に強制されたわけでもない。
推しが「イベント勝ちたいの、応援して」と言ってきたとしても、最終的に応援として金銭の発生する行動を取ったのはあなただ。

それに対して推しから反応があったら、とても嬉しい。
俺自身の体験からも、小躍りしながら「いいねしました」という通知をスクショするくらいには嬉しい事だ。

しかし、推しが多忙になったり、ファンの分母が増えたりすれば、そういった反応もしきれなくなるのは当然で、人気商売であればそうなっていくのが自然なサクセスストーリーだ。

「ありがとう」の一言が欲しいだけ。
そう思うかもしれない。そんなにワガママは言っていないかもしれない。
しかし、人気者にとっては何万、何十万というファン1人1人に個別に「ありがとう」を返すだけでどれだけの労力を消費するか。

「推しに対して何も求めるな、黙って応援しろ」
という事ではない。
「嫌なら見るな」とか「推しは推せるときに推せ」といった、他人に強制させるような言葉は、どんなに流行っていても俺は嫌いだ。

推しに対して、求めてもいい。
ただそれは、自分に対して、個別に、何かをしてほしいと求める事ではない。そういうものを求めてはいけない。
リプしてくれ、フォロバしてくれ、レスしてくれ。
それは明らかにファンの領分を超えたワガママだ。

推しに対してファンが求める権利(あくまで求める、声を上げるだけの権利)があるのは、あくまでファン全体に向けた、パブリックな活動内容についてだけだ。

楽しく活動してほしい、炎上しそうな発言は気を付けてほしい、ゲーム配信が観たいな、雑談配信増やしてほしいな、歌みたが聞きたいな。

もちろんこれらも度を越えれば推しへのプレッシャーになってしまうので節度が大事だが、そういった声ならばある程度は受容されるべきだ。
※ただし「最近ゲームばっかやってるな、俺は〇〇ちゃんのゆるい雑談が聞きたいのに」といった批判含みの発言はガチNG。「〇〇ちゃんの歌声が好きだから、色んな歌みた聞いてみたいな!」的な、前向きな言葉を選んだリクエストにしたほうがいいと思う。

・麻雀やってみ、報われない事の方が多いから

1人がリーチ。
捨て牌の情報が少なく、安全牌が絞れない状態。
勝負に行く手でもないので降りているが、安牌が枯れる。
3萬が4枚とも見えているので2萬は比較的安全と思って切ったらシャンポン待ちに飛び込んでロン。リーチ赤赤ドラドラ。なんと裏ドラで2萬が乗って裏3。オリていたつもりなのに倍満振ってラス。

オーラス6万点持ち。
親にあがられても1~2回なら耐えれるし、先に脇が飛ぶだろうと静観してたら、親がスッタンの役満ツモってトップ逆転。

「こんなに頑張ってるのに、なんで報われないんだ!」

麻雀やっててそう思った事なんて、500回はある。
でも、それが麻雀だし、それが人生。
麻雀は人生を左右しないから、そういうものだと思って、そこの部分も楽しめばいい。
人生でそういう事があったら「いつか報われる」って信じて愚痴を吐かないことが大事。

絶対に報われないんじゃなくて、すぐに成果が出て来たり、ずっと後になってから成果が出て来たり、目に見える成果じゃなくてもどこかで成長を感じられたり。

努力している以上、何かしらの成果はある。
ただそれが、あなたの求める形やタイミングではないだけ。

もしくは、努力の方向性が間違っていたり、不足していたりすることもある。そういう時に自分を顧みる事も本当に大事。

成果をすぐに求めない癖をつけると、自分にも他人にも適度な期待と適度な諦観をもっていられるから、人生が楽になる。

すぐに成果が出たら「おお、ラッキー」くらいに思っていればいい。

だって、例えば推しに「〇〇ちゃんが反応してくれない!」って愚痴ったとして、推しが「ごめんね、次からなるべく全員に反応するね」って返してくれて。
その時は嬉しいかもしれないけど、それで推しが無理して心や体を壊してしまったら、嫌でしょう?

推しに「無理せず自分のペースで!」「〇〇ちゃんが楽しい事をすればいいよ!」って言った事もあるでしょう?

みんな麻雀やろうぜ、理不尽な現実への耐性がつくから。

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