【クズ論】プライドの取捨選択

久々に投稿。
人生の分岐点に立つと文章を書きたくなる、という人は多いんじゃないかなと、SNSの投稿などを見ているとよく思う。

無駄にそこそこ長い人生を生きてきて思う事がある。
それは「自信とプライドは別」だという事。
そして「いらないプライドを守ろうとしてどれだけ損をしてきただろうか」ということ。

プライドが邪魔になるケース

たとえば、自分の意見を否定された時。
否定の内容が理不尽だったりこちらの意見を理解する気が無かったり、そういった時に怒りを覚えるのはまあまあよくあることだと思う。
でも「否定された事そのもの」に怒りを覚えてしまうというのは、無駄なプライドが邪魔をした結果だな、と思う。

たとえば、相手の意見の方も一理あると感じた時。
「そういう考えはなかった。なるほど、自分と違う視点で見るとそう感じるんだな」と受け入れられるのはいい事だと思う。
しかし、ここも無駄なプライドが邪魔をすることがある。
よくSNSで「ご意見承りました。あなたの言葉で自分の意見を変える気はありませんが、貴重なお考え参考にさせていただきます」のような一見丁寧だけど「相手の意見を受け入れる気」も「自分の意見を変える気」も一切ない言葉を議論の締めに使う人が割と多い。俗にいう「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」ってやつだ。
これも「無駄なプライドだなあ」と思う。
言っている事は前者の「そういう考えは~」とそんなに変わらない。前者だって別に自分の意見を曲げていたり相手に合わせている意味合いはない。
後者が問題なのは「自分の意見を変える気はありませんが」という、不要な反発心を込めた言葉を無駄に付け加えているところにある。

SNSでそういう発言をした覚えはないが、実生活で俺もクソみたいな要らないプライドが顔を出して「まあ、そう思ってるならそれでいいですけど」のように言った事がある。あるというか多い。
「言われたから従うだけで納得はしてねえからなクソが」みたいな態度を取る事で、完全敗北ではなく一噛み返した気になっているだけの小さな反抗だ。

その議論が自分にとって譲れない大事な気持ちなのだとしたら、相手が付き合ってくれる限り言葉を交わして議論し続ければいい。
もしそうでない、ちょっとこう思う、くらいのモノであるならば、別に相手に噛みつき返してまでプライドを守ろうとするのもバカバカしいと思う。
「まあどうでも良いよな」と心の中で決着させて「意見交換ありがとうございました」で締めるくらいの度量を見せた方が印象もいいし軋轢(あつれき)も生まれない。
ここで注意なのが「まあどうでも良いよな」を口に出してしまったら、これも要らないプライドだ。「俺はどうでも良いと思ってることだったけど、お前なに熱くなっちゃってんの?」みたいに斜に構えたふりをして相手を腐す行為に取られかねないからだ。
これは、昨今のネットの中でもマジで見ていて気色悪いと思う。
※ちなみに「これが口癖のやつとは深く付き合えないランキング」の11位に入る言葉が「知らんけど」だ。たまになら気にならないけど、いつも何度でも、どんな話題でもこれ言ってくるやつはロクなもんじゃねえ。

マウント野郎滅ぶべし

要らないプライドが引き起こすもので俺が一番嫌いな行為が「マウント」「マウンティング」と呼ばれているものだ。
自分が持っていて、相手が持っていない物や知識や経験をかさに着て相手を見下す。
俺もそこそこのクズと自覚しているが、息を吐くようにマウントする、いわゆる「マウントクズ」はクズ同士の中でもかなり嫌われる害悪クズだ。
※クズの分類としては「社会性欠落系クズ」「真面目系クズ」「暴力系クズ」「犯罪系クズ」「性欲系クズ」「無自覚クズ」と多岐にわたるが、俺は主に「真面目系クズ」の分類に入る。一見真面目そうだがちゃんと陰口言ったり寝坊したりサボったりしているタイプだ。あと事前にしっかりした予定を入れられるとストレスになったりする(遊びは別)。

マウントクズには「普通」「常識」「一般的」「当たり前」といった言葉を非常によく使うという習性がある。(使う人が全員マウントクズというわけではない)

「は?常識ですけどw」
「えー、普通大学くらい出てるでしょ」
「普通に働いてたら○歳で○百万くらい年収あるもんじゃないの?」
「えー、俺が知ってるから一般的な知識だと思ってたー」
「え、それって当たり前じゃね?わざわざいう事じゃなくね?」

クズが…!!

こういう奴らの厄介なところは他人からは自分を特別な人・優れた存在と認識してほしいクセに、相手をけなす時は自分をマジョリティ側、相手を劣ったマイノリティ側にポジショニングしたりする。
特にSNSなどに生息する匿名マウンターは、話題によってコロコロと意見やポジションを自分の有利なように変えてマウントを取ろうとする。
ネットの中では不死身の存在。相手にしたら疲れるのでブロック推奨。

もう一つ厄介なのが、マウントを取る人間の中には、それを自覚しない人が一定数いることだ。
先述したように「普通」「常識」といったマウンターがよく口にする言葉は、マウンターではない人もよく使う言葉であるため「そういうつもりで言ったわけではないが結果マウントになってしまった(マウントと相手が解釈してしまった)」はけっこうある。

難しい問題だが、無自覚マウンターは日本の人口の三人に一人と言われているので、ちょうど奥二重の日本人と同数だ(根拠なし)。
相手が無自覚っぽかったら、それとなく指摘したり「おいおい~お前今のマウント取っとるや~ん」とイジッたりして場を和ませよう。
和まないこと多いけど。

プライドの必要性

じゃあ、プライドは一切ない方がいいのか。
そんな事は無い。自信とプライドは別だが、プライドを持って仕事や趣味や様々な活動を行う事によって自信が生まれるという事もあるし、向上心や責任感もついてくることが多い。
俺が言っているのは「プライドを保つべきところと、プライドよりも実益を優先するべきところを分けよう」という話だ。

ひとつ、俺のエピソードを話そう。
かつて俺は仕事終わりに毎日パチスロに行くほどパチスロ好きだった。
新台入れ替えと休日が重なる日には朝から並ぶほどののめりこみっぷりだった。
そして、パチスロライターの動画や雑誌に目を通し、機種情報や設定推測、勝てる立ち回りなどを勉強したりもした。
それ自体に効果はなく、見事に負け組養分として業界に貢献していたわけだが、あれはあれで楽しい時間だった。
しかし一つだけ「変なプライドにこだわって楽しみ切れていない」というモヤモヤがあった。

パチスロと言うものは基本的には下記のような仕様になっている。

①コインを入れる(1回転に3枚必要)
②レバーを叩く
③三つのリールが回り始める。
④リールそれぞれに停止ボタンがあり、三つを止めた時に成立している訳に応じてコインが払い出される(ベルとかチェリーとか7とか)

知らない人のために言うと、パチスロの絵柄は内部の機械で制御されているので、当たっていない時に7を三つ揃えようとしても絶対に揃わない。
まずは打っていく中で機械を「7を揃えることが出来る状態」にもっていく作業なのだ。そして、その状態のことを「ボーナス確定」という。

パチスロには様々な種類がある。
ランプが光ったらボーナス確定するシンプルなもの。
押し順の指示が表示され、それに従えばコインが増えていくもの。

そんな中でも長く固定客をつかんで愛されていたジャンルが「技術介入機」と呼ばれるものだ。
詳しく説明すると専門用語ばかりになってしまうので割愛。
簡単に言うと「特定のリールの特定の位置に特定の図柄を1コマのズレもなく止められる技術」とか「ボーナスが確定した時にそれをいち早く見抜く知識」など、打ち手の技術によって獲得できる恩恵が増える台なのだ。

技術の最たるものが「ビタ押し」。
先述した「特定のリールの特定の位置に特定の図柄を1コマのズレもなく止められる技術」だ。完全なビタではなく1コマまでならズレてもセーフ(2コマ目押し)など難易度は機種によってまちまちだが、その2コマ目押しですら当時の俺は出来なかった。それが出来ないと、技術介入機においては獲得枚数的に損になる事が多いのだ。

「変なプライドにこだわって楽しみ切れていないモヤモヤ」とは、まさにこの「技術介入機」の楽しさを味わえていなかったこと。
この機種に座る客はほとんどが目押しや知識に自信がある層である。
つまり、目押しをミスってしまうというのは他のライバルに見られて「うわ、こいつこんな簡単な目押しミスッて損しておいて技術介入機座ってんのかよ」という視線を一身に浴びることになるのだ。
いやまあ実際はそんな人ばっかりじゃなくて、むしろ自分の目押しに集中したいし勝ちたいから他人の事なんて興味ねーし見ねーよ、という人がほとんどだったわけだが、俺は「ミスる自分」「恥をかく自分」というのが嫌でその機種を避けていた。

ある時思い立って何度か座って打ってみたが、やはり難しい。
ただ、一つだけ言えるのは、楽しいのだ。
派手な演出で盛り上げたり、虹色や金色がバシバシ出て「激アツゥ!」「確定ィ!」とゴリゴリに煽ってくる台が多い中で、技術介入機は液晶画面すらないものが多い。
2個目のリールを止めたところで「ここでスイカが成立しなければ…当たってる…!」とワクワクし、3個目を止めてスイカ非成立。演出も何もないが心の中で「うおおおおおお!」となる。
こんな楽しみ方だ。
ボーナスを教えてもらえるのではなく、違和感や法則の崩れで「自分で気づく」感があるのがたまらなく気持ちいいのである。

こんな楽しいものを「失敗したら恥ずかしい」なんて思いで敬遠するなんてもったいない。
そもそもパチスロで生活するために打っているんじゃなく、楽しむために打っているんだから、多少損になったっていいじゃないか。
いつしかそういう風に考えることが出来るようになり、技術介入機を打つようになった。
相変わらず目押しは苦手だったが、法則性などを少しずつ覚えては「あっ!この出目、進研ゼミで見たやつだ!」と気づけるようになる喜び。
目押しを失敗しても周囲の目を気にせず「でへへ、やっちった」と自己完結することで、趣味としての楽しみはさらに加速した。

人生を楽しむために

大分話がそれてしまったが、変なプライドや気恥ずかしさが人生を楽しむのを邪魔することは多い。
「お前、プライドねえのかよ」
と言ってくる奴がいたら、
「ゲヘヘ、ないでゲス。ダンナはプライドがあって高貴でご立派でゲスねえ~、お小遣い下さいヨォ」
と言い返してやろう。俺はやらないけど。

「これだけは頑張っていきたい」
「これに関しては負けたくない」

と思うものがあるのであれば、そこにプライドを持つことは大事だ。
そのプライドが自分への厳しさを生み、さらに技術や知識の向上を手助けしてくれるし、プライドを持ってやることによって認めてくれる人も増え、モチベーションも上がる。努力を楽しめるようにもなる。

しかし、そうでない事に関しては、良い言い方をすれば「寛容になる」ことも大事ではないかと思う。
よく他人とトラブルになっている人の特徴として
「どんな話題に関しても、絶対に意見を曲げない」
「どうでもいい事を深く追求する」
「人それぞれを受け入れずに自説の正当性を主張してくる」
という特徴がある。実際、俺もそういう風になってしまい、あとから「よく考えたら、あの話題であんなに熱くなる必要なかったな…」と後悔することがある。

どんな小さな事にもこだわる、自分流を貫くのは大事なことかもしれない。
けれど、それが自分にとってストレスになるのなら、自分の生き方に合っていない。
「まあいっか」と思えるだけで、心の中の荷物を一つだけ降ろせる。

恋人がいないのは恥ずかしい。
貧乏なのは恥ずかしい。
低学歴なのは恥ずかしい。
アニメオタクなのは恥ずかしい。

周囲からそう思われようとも、自分が「別にいいや」って思えていればそれでいい。
不要な比較や羞恥心、変なプライドで自分の人生の楽しみポイントを削ってしまうのはもったいない。

プライドは意識高く生きてる人たちに任せて、ゆっくりいこうよ。

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