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取り残されて春

台湾は1月だというのに春のような気候です。

この2週間くらい台湾国内旅行をしていた。東京から友達が来て一緒に台北とポンフーという島を回ったり(本当に冬のポンフーはお勧めしません)、台北で1人のんびりと喫茶店にいたり植物園に行ったりして台中に帰ってきた。

台中に着くと帰ってきた感覚になりすごかった。成田空港からバスで東京駅まで1000円で行けた時、東京駅までの徒歩5分くらいでようやく帰ってきたと思えるあの感覚、よりは幾分いいものだった。東京駅の夜はビルの光が煌々としているけれど何もなく、中央線に揺られて最寄り駅まで帰る時、ああ、着いてしまったんだとよく思っていた。職業柄、遠征の多い人生だった。

仲の良い前の部屋のルームメイトは成人式のため日本に帰っている。成人式なんて昔すぎて思い出せないくらい歳を重ねた。あの時は文字通り尖っていた。大学は休みに入り旧正月前なので寮の人たちは皆家族のもとに帰っていく。半年で留学を終える人や半期ずれて留学に来ている人はそろそろ自分の故郷に帰るらしい。明日はもうすぐ国に帰るウクライナ人の女の子とご飯を食べる。なんだかすごく私のことを好きでいてくれているらしい。

しんとした大学、しんとした寮、しんとした駅があり、それに重ねて春独特のざわざわとしたあの感覚までもが私を襲ってくる。まだ花は咲いていない、桜がどこに咲くのかもわからない。大学が始まるまで、なんと私はまるまる1ヶ月半もカレンダーに予定のない時間を過ごすことができるのである!なんて素晴らしいことだろう。できるだけ有意義に使いたいものだ。

とは思っているものの、一丁前に焦りなんかも感じてしまっていて、そういえば論文をやらなければ、音楽活動の広報を何もしていない、日記も書くのが面倒くさくなって放置したら何も思い出せない…と思っているうちに1日がどんどんすぎていく。自分だけが置いて行かれているような感覚にならないために一日に3時間は英語の勉強をして3時間以上は学術書を読んでいる。下着を手で洗い、ラジオ体操をして、もらった自転車で行ったことのない店をなるべく選んで昼飯を食べ、ハマりすぎてしまった豆花と台湾式チキンの誘惑に勝ったり負けたりしながらとりあえずまあ及第点かと思い込ませて1日を終える…。

「あこがれ」というアルバムを20歳で出した時、10代の内省として「10代って夏に例えられると思うんです」と健気に書いていたあの時の自分よ、きっと20代は春だ。青春の春ではない、青くはない。いや、ある程度の青さはあるものの、10代の時のような鮮やかな青ではなく、青の様々なグラデーションを感じ取りながらずっとざわざわしている。諦めつつも他人と比較をしてしまい、新しい物を受け取れる自分に感動するが自分の根本は中学生くらいから変わっていないことに失望したり自信を取り戻したりを繰り返す。
それを乗り越えたらなんだ?30代は秋か。そして40代は冬としよう。私は冬が一番苦手だから、それまでに冬の楽しみ方をマスターできているといいね。まずはそこまで生き延びていることを目標にしておこうか。

海外に住むと、どこにでも人は住めることを知れてすごくいい。世界は広く、私はまだ若い、が、インスタグラムで観測できる同世代の社会的行事---就職、転職、結婚など---と完全に切り離され、街にも取り残された私は、旧正月を待ちながら今日も図書館で新マスター英文法と戦い、カフェで本を読み、肺を黒くしている。これからどこに行くのかは何もわからないが、選択肢が確実に増えているような気がする。言語を学ぶことはつまり、選択肢を増やすことだったのか!

決まっていることは帰国の日程と卒論を確実に良いものにしなければいけないこと、やらなければいけないことは言語習得、読書と旅行は時間があるうちしかできないのでやるなら今な気がする。あとついでに生活習慣も整えて台湾の漢方医者で不味すぎる漢方を飲んで低体温を直し、あわよくば強くてしなやかな大人になれればいいなと思う。ガンダムの映画見た〜い。ライブしないと何かが足りな〜い。お推し(國分功一郎先生)の新刊今すぐ読みた〜い。なんとなく過ごすには歳を重ねてしまった。


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