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他言語が喋れるとはどのようなことか?

昨日は台湾のガチョウ肉店に1人で行っていた。台湾に住んで2ヶ月半。留学は3ヶ月までは言語で苦しむと聞いていたけど、1ヶ月目から別に苦しんではいなかった。

いや、苦しんでいないわけではない。何言ってるのかはわからなかった。でも、別に今でもわかってない。全然わかんない。喋れない。でも喋ってる。授業も受けてる。生活している。じゃあ喋れるってどういうことなのか?きっと、言われたことを全部理解し、自分も言いたいことを全部言える状態。
でもそれって日本語でも別にできていなかった。母語が一緒でも噛み合わない人なんてたくさんいたし。

じゃあ今も喋れてるということになるのか?
喋れているとはどういうことを指すのか?

人間にはジェスチャーと表情があるため、それらを駆使すればなんとなく雰囲気で何を言いたいのかはわかることがある。あとは翻訳アプリもある。本当に何かを伝えたい時は伝わる、というのが1ヶ月目からの所感だった。
何を言っているのか聞き取れない時は完全に予想ゲームと化す。今の状態で訊かれていることは何か、大体3つくらいに絞ることから始める。昨日のガチョウの店で話しかけられた時はどこ出身かと学生かとあと何か訊かれたけどよくわかんなかったから、とりあえず東京に住んでたとか来年日本に帰るとか言った。そしたら京都って単語が出てきた。行きたいんだか行ったことがあるとかまあそんなことを言ってるんだと予想して、私も中高生の時に行った事あります、と適当に答える。合ってるかわかんないけど向こうが満足そうなのでよしとする。いちいち合ってたのかとか気にしてる余裕がない、というよりは合ってるかの確認のしようがない。笑 

だから、喋れている気はしないけど喋っている。いつか理解して喋れる日が来るんだろうなと予想を立てながら。

言語のフィーバータイムが訪れたことがある。
その時、私は酒を結構飲んでいた。新しく出会った台湾人の女の子はイーラン(自然が豊かなところ)出身の21歳で、音楽に超詳しかった。その子とあまりにも喋りたかったし、伝えたかった。意図せず、中国語がスラスラと出てきた。喋れないはずの英語も駆使した。彼女も色々喋ってくれた。中国と台湾の関係みたいなナイーブな話も出てきた。でもそれも、伝わった。伝わったから、私もそう思うと伝えた。
日本の音楽が好きらしくて、一緒に青葉市子さんと踊ってばかりの国とGEZANマヒトさんの動画を見たり、一緒にスワロウテイルの主題歌を歌ったり。
通じ合えた喜びはきっと証明できないが、確かに会話ができていた。この時ばかりは、喋れたと言っていい。というか、喋ることよりももっと大事なものを共有できたような気がする。大事なのは喋ることじゃなく何かを伝えたいというその心という可能性もある。

そんなことを考えていたら、今日は体育の授業の時に先生が何を言っているのかが本当に理解できずやや怒られ(呆れられ)をしたり、宅急便の人から電話が来ていたのに全くわからず寮のオフィスマネージャーからの電話だと勘違いしていたりした。やっぱり分かっていない。雰囲気だけではダメな時に、予想がつかない状態で予想ゲームをしても威力を発揮しない。フィーバーできていない。中国語を勉強する授業を1つしか取っていないため別に文章も会話も上手くなるわけではい。

ただ、環世界を獲得しつつはある。ガチョウの店に行ったら内用(ここで食べます)と言えるし、紙に書いて注文もできる。これは言語の話ではなくて、習慣とか、"日本 東京 阿佐ヶ谷"という私が培ってきた恒常性を今ぶち壊して再構築している途中だということだと思う。だから、生活もできる。

さっき友達とご飯を食べた時、メニューに「珍珠ワンタン」と書いてあって、「?」となった。「珍珠(タピオカ)奶茶(ミルクティー)」を知っていたので、タピオカワンタン?と思っていたら、珍珠は真珠の意味、つまりタピオカにだけ使うわけではないということを知った。(友達に説明してもらった時はそこまでわからず、「なんか小さいって意味なんだ」と思った。)
小さい子供が言語によって物と言葉の関係性を知るように。物と物との関係性を知るように。言葉と言葉の関係性を知るように。一つずつ分かったり分からなくなったりしている。

不眠に大変悩まされていたため、昨日から部屋を変えてルームメイトが台湾人になった。ずっと日本人3人と暮らしていたから、意思の疎通が急に困難になった。留学が始まったと思った。部屋に帰ってきて今日何が合ったのかを日本語で説明してたあの時間は今ない。

私の留学はまだ始まったばかりだ!!!



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