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書物の魅力とは?
つい先日、「星の王子さま」が売れた。
買ったのは、うちの店に来る数少ない読書家の小学生だ。
売れたのは画像の本なのだが、なかなか素敵でささやかな魅力のある作りの本なのだ。
ハードカバーの四六版変形という縦長なサイズの本で、表紙は布クロスという手触りがいい装幀だ。
表紙のタイトルは箔押しという金文字のもので、帯も金色の紙を使っていてるので、紺地の表紙に金色が映えて美しい。
すぐ売れるだろうと思って棚に分かりやすく置いていたのだが、思っていたほどすぐは売れずにちょっと時間が経ち始めたころに、小さな読書家のお眼鏡にかなった。
「さすが、良い本を選ぶね」
と声をかけると、嬉しいのか恥ずかしいのか分からなかったが、返事としてはにかんでくれた。
この新たなパートナーのところへ旅立っていた「星の王子様」も、元は僕がお客さんから売っていただいたものだ。
出版不況であり、またサブスクリプション動画配信サービスなどの魅力的な娯楽が台頭している時代に、それでも書物を売ることにどんな価値があるのかというのは嫌でも考えざるを得ない。
人から人へ、未来へ未来へと、ことばや思いをつないでいくことができるところに、モノとしての書物の魅力がある気がする。
サブスクリプションサービスやSNSの楽しみは、あまりにも消費的すぎる気がする。
電子書籍なんかは、印刷された書物には為せない技を持っているし、手軽で便利ではある。
けれども、電子書籍を貸し借りしたり、また売り買いして読みつないでいくというのは難しい。
そういった観点から言えば、同じ文章であっても、書物として形になっている方が奥深い魅力があると感じてしまう。
あまり上手い例えではないが、電子書籍の本は、企業の展示室のショーケースに収められた宝石で、印刷された書物は、宝石に似合うようにあつらえた宝箱と宝石、のような関係に感じる。
同じ宝石でも、宝箱を作る人によってその宝石の印象が全然変わるし、時には宝箱に持ち主の名前が書いてあったり、デザインがされていることも面白さの一つなのだろう。
モノであることが厄介さを生むこともあるのだが、厄介さも含めて、人の思いがつながっていく可能性が秘められているところに、宝箱たる書物の魅力があるのかもしれない。
「星の王子さま」がこれからどんな旅をしていくのか想像するのが楽しみだ。
(書いてみたらロマンチックなポエム調になってしまってちょっと恥ずかしいです。)