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「嘘のない生き方」

今週とある県の民放ラジオの女性パーソナリティーが引退された。私の大好きな、恩師のような姉のよう(おこがましいが)、そして歳が近ければ絶対に恋に落ちていたようなそんな存在の人である。同性にも異性にもモテてきただろうし、今もすごくモテていると思う。

その知らせが入ったのは、僕が自分のインスタグラムにオールナイトニッポンの元チーフディレクター石井玄さんの「アフタートーク」という本を読んだことを投稿した時だった。久々の連絡もラジオ絡みだったのがすごく嬉しい。

もう2、3年連絡をとっていなかったが、そのパーソナリティーさんから返信が来た。

「今月で長ーいラジオ人生に、マイクを置きます。」

という短いメッセージだった。とても寂しかった。


その方は、半世紀近くラジオに携わって来られた。初めて会った時にはすでに還暦を超えられていた。私がその方のラジオのミキサーを担当することになったのだ。初めてその方のラジオを真近で聴いた時、「本当に還暦超えてるの?」と訝しんだことをはっきりと覚えている。

おそらく当時62、3歳、私は19歳。2時間半の生放送、そのままぶっ続けでまた2時間ほどの生放送。その方のラジオは不思議だった。「若さ」と「今までの道のり」が交差していた。

「懐かしさ」ははっきりと感じるものの、「古さ」を感じないのだ。思えば大学生の私に、いつも新鮮な感情を与えてくれていた。リスナーさんに寄り添いつつも、自分の視点も忘れず、そしてその視点がきっといつも「自分史上最先端」なのだ。

なぜか、

それは多分、その方は60を過ぎてなお「今」を生きていたからだ。

インスタグラムを始め、全く新しいイベントを企画し、初めて歌詞を書き、プロヴァイオリニストに協力してもらって、最後にはその歌を歌うようになられた。その歌をたくさんの人が聴きに来ていた。若い人も、お年を召した方も巻き込んで、みんなで作り上げていた。そして、僕のような若い人間の話もたくさん聞いてくださった。だからずっと若いままなのかなと感じている。

きっと、人生を使い切ろうと、命を楽しく燃やそうとする激しい情熱や衝動があるのだと思う。その情熱を形にするときに、人の心を動かせるのではないかと、大学生の僕は勝手に学んだ。

その方はいつも、自分をさらけ出していた。本当にラジオブースで笑い、泣き、憤り、音楽に感じ入り。びっくりするほど飾らない姿だった。一緒に焼肉を食べている時と変わらないのだ。自分の事を「マチリン・モンロー」と電波に乗っけて、戯け、自分で大爆笑している。笑いながら涙を流していたりする。その姿がとても清々しく、聞いている僕もリスナーさんも楽しくなってしまうのだ。と、思えば、本当に親身にじっくりリスナーさんの相談に乗る時もある。明るく、時に的確に。その姿は、ラジオ放送後に喫茶店でトルコライスを食べながら、深く、でも開けっ広げに恋の話をしている時と同じテンションだ。その人そのままの「嘘のない生き方」を強く感じた。

全てを曝け出すのは、怖いことだと思う。だって、何言われるかわからないんだから。曝け出した自分の一番核の部分を否定された時、ひどく傷つく。それは本当に怖いこと。ただ、そんな気持ちを抱えながらも、本当にいつも関わる全ての人に正面から向き合っていたんだと思う。それはリアルに会っていた人も、電波の先の人にも一緒だ。誰にでもできることではないと思うし、いつか腹を括った瞬間があったんじゃないかと思う。その方の言葉には嘘が無く感じる。だからどんな人にも染み渡っていくのではないかと思う。


その方が、「柴崎くんはラジオで話した方が良いと思う」と仰ってくれたことがある。なぜかという理由までは聞けなかったが、とても嬉しかった事を覚えている。思い出しては勇気をいただき、何かしら形にしたいと思わせてくれる言葉だ。ただ、今の自分がもう一度お会いしたとして、またそう言ってもらえる自分なのか。すごく不安である。だから、思い出すと背筋が伸びるそんな言葉にもなっている。勝手に僕は社交辞令でなく、本音で言ってくれたものと都合よく解釈しているが、本音の言葉はきちんと生きていくと実感している。


「嘘のないように生きる」ことはきっと、「わがままに生きること」ではない。もちろん自分のしたいことをするのだから、そう見える時はあるのかもしれない。ただ、決定的に他人に幸せになってほしいというベースがあるかないかが分かれ目なのではないかと思う。「ふり」は簡単だが、見抜かれてしまう。だからこそ自分のやりたいこととの葛藤に悩むことも多々あると思うし、言いたいことをそのまま言えないもどかしさもあるはず。最後の放送も、自分も楽しむけどあくまでリスナーさんの時間という思いなのか、もはや染み付いているのか、そんな放送のように感じた。きっとずっと昔からその方は、本当にみんなが楽しく生きることのために努力してるんじゃないかと勝手に思っている。とんでもなくすごい人だ。


私は、その人に出会えて本当に良かったと思っている。とてもキュートで、豪快に見えても実は弱さも抱えられていて、でもそれすらも肥やしにして嘘のないように生きていく。遥か遠い道標だが、私もそう在りたい、そう生きて行きたいとおもう。

ラジオからは引退されるということだが、きっとまだまだ新しいことにチャレンジされるはず。その時はぜひまた元気にお会いしたいし、お会いするに恥じない自分で居たいと思う。でもとてつもなく道のりは長そうなので、とんでもなく長生きしてほしいと本当に願っています。

長い間、お疲れ様でした。がんばります。






大好きです。