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なぜ「誕生日」=「おめでとう」なのかを考えてみる。
なぜ誕生日にはおめでとうがあたり前なのだろう。
まず誕生日だが、これは数ある記念日のなかでも別格中の別格だ。
奥さんや彼女の結婚記念日や付き合った記念日を忘れることと、誕生日を忘ることでは、どちらが罪深いかは考えるまでもない。
各企業は顧客の誕生日にクーポンを配るし、ホストやキャバクラの世界ではいちばん売上をたたき出せる日となっている。
パスワード、車のナンバー、メールアドレスにも誕生日はよく使われるね。
イエスキリストの誕生日、このクラスともなればさらに格は上がる。
もう、毎年人類総出で祝うのだ。
それだけ大切な日なので、人は誰かに誕生日を覚られているだけで好意を抱いてしまうよね。
あまり知らない人に覚えられていると怖かったりもするけど。
とにかく、誕生日というものは、その人にとって希少で貴重な1日だ。
話を戻そう。
なんで誕生日はおめでたいのだろう。
ごく一般的に考えれば、
・この世に生を受けたこと、にたいしてのおめでとう。
・今まで生きてこれたこと、にたいしてのおめでとう。
この2つくらいが主な理由だろう。
そして「おめでとう」ということばは、何かを達成した時に使うことばだ。
つまるところ、理由は単純で「その年齢に至ったこと」を祝っている。
生まれてから死ぬまでの人生というレースにおいて、誕生日は1年ごとのチェックポイントだ。
30歳の方なら30回目のチェックポイントを無事に通過できたことに「おめでとう」と言われているのだね。
だからケーキやプレゼントは、そのご褒美ともいえる。
なるほど、おめでとうは「ねぎらい」のことばでもあったのか。
ちなみに、日本に誕生日という概念ができたのはここ最近と言われている。
昭和25年(1950年)1月1日に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」。
それまで日本には、あまり自分が生まれた日を重要視する慣習は無かったようで。
この法律が制定された昭和25年あたりから、次第に誕生日という概念は広まっていったらしい。
たぶんだけど、最初のころに「おめー、今日誕生日ってやつだべ?だったら記念にお祝いでもすっぺ」と、軽い気持ちでドンチャンやってみたのだろう。
そしたら、意外と祝う人も祝われる人も、気持ちよかったんだと思う。
そんでもって、誕生日だけはすべての人間が平等に授かってるものだから、誰だろうが分け隔てなくお互いを祝い合えるスーパー便利な記念日だと気づいたんだろうね。
あとは広まるのは早かっただろうなあ。
そりゃあ、生きてる以上、誰かを祝いたいし、誰かに祝って欲しいよね。
全員が対象になるお祝い事なんて、たしかに他に無いもんな。
うんうん。
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