手の届かないところにあるブドウは酸っぱい。
「酸っぱいブドウ」という話。
「イソップ物語」にみえる寓話(ぐうわ)。
キツネがおいしそうなブドウを見つけるが、高いところにありどうしても届かない。しまいには「あのブドウはきっと酸っぱくてまずいに違いない」と言って去る。
引用元:コトバンク
ひとことで言うと「負け惜しみ」「言い訳」ってこと。
手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を「価値がない・低級で自分にふさわしくない」ものとみてあきらめ、心の平安を得る。
フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする。
また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語である。
引用元:wikipedia
これは社会心理学的に「認知的不協和」ともいうらしい。
人間が、心のバランスをとろうとする心の仕組み。
たとえば、
・好きな人がいるが、告白できずに終わった。
→もし付き合ったとしても性格が合わなかったかも、たぶん。
・独立したかったが、会社員として生きることを選んだ。
→独立したらいまよりひどい生活をしていただろう、たぶん。
・ダイエットしていたが、やめてしまった。
→食事制限や無理な運動は逆にからだに悪いから、たぶん。
という感じ。
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わたしはこの話を聞くと、ひじょうにつらい気持ちになる。
だって、負け惜しみくらい、言わせてちょうだいよ。
そんなに敗者を追い込まないで、と思う。
じゃあ、どうしろと。
できなかった自分を責めるべきなのか。
本来の教訓は「ものごとを達成できなかったとき、周りのせいにせず、すぐにあきらめないでやり遂げよう」というもの。
それはじゅうぶん、分かる。
そのとおりだ、とも思う。
でも、世の中にはのっぴきならない事情もあるじゃない。
大人になればなるほど、色んなリスクを考えてしまうときもあるじゃない。
全員が1位になれるわけじゃ、ないじゃない。
だから、わたしはこの話をこうとらえたい。
「あのブドウはきっと酸っぱいだろう。よし、気持ちを切り替えて別のなにかを探しにいこう」
と。
気持ちを切り替えるときに使う前向きなことばとして、伝承されていったらいいのにな。
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