ひとは一生のあいだに、いくつの「ないものねだり」をして生きていくのだろうね。
2人の20代の女子社員が、
「きのう、ラッキーデーをしたんですよねー」
「えー、いーなー。次のやすみはわたしもラッキーデーやるー」
という会話をしていた。なんだろう、ラッキーデー。そもそも「デー」というものは、やったりしたりするものではなくて「来る」ものだ。先日のバレンタインデーしかり、バースデーしかり、マンデーもウェンズデーもしかりだ。
なにかゲームの名前かしら、と思い「ラッキーデー」ってなんのこと?と訊くと、「オフロに入らないで寝られる日のことっす」とのこと。
それはつまり休日の前の夜。
翌日に外出の予定がなければ、仕事から帰ってオフロに入らずに遊んで、寝て、そのまま次の日の夜までオフロに入らず駆けぬけられる日のことを指すらしい。もちろん2人だけの造語。
入浴のわずらわしさ(?)から解放され「うえーい、今日はオフロに入らないで寝られるぜーい」とハイテンションになれることから、それを「ラッキーデー」と名付けたらしい。
はーなるほど、思った。いまや現代人の日常である「まいにちオフロに入る」というタスクはけっこうな負担であり、手間のかかるルーティンであることはたしかだ。女子は髪を乾かす時間もかかる。なおのこと、大変だろうな。
ちなみに2人の女子社員は2人とも清潔感があり、小綺麗だ。男性社員からの評判も良い。それだけ清潔感を保つのには日々苦労もしているのだろう。
そもそも「オフロに入れる」というのは、本来は贅沢なことであるのに、それをまいにち繰りかえしているといつのまにか義務になる。「やりたい」が「やらなきゃ」になるとひとは苦痛を感じる。
本来はやりたかったことなのに、やらなきゃになると、今度はやらなくてよくなったときに快楽を感じてしまう。ほんと、ひとのこころって複雑なつくりしてるよね。
んで、あたりまえだがオフロが家から無くなったら無くなったで超絶文句を言う。そりゃそうなのよね。
小難しく言ったけど、こうしてひとは一生のあいだ、いくつものないものねだりをして生きていくのだね、きっと。
でもわかる。ごめんなさい、わたしもたまに「ラッキーデー」やります。その夜の解放感たるや、なにごとにも変えがたい。しかしなぜこんなにも、ひとはまいにちのオフロに義務感をもって生きるのか。「あーオフロ入らなきゃ」と人生で何度つぶやいたことか。
でも誰かが言っていた。世界中、どこを探しても「オフロに入るのをめんどくさいと思っても、そのあとオフロに入って後悔したひとはただのひとりもいないんだぞ」と。
まったくもって、そのとおりだと思う。
その名言を思い出して、ラッキーデーなのにがんばって入ったりもして。…なんだろう、やっぱり必死だね。
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