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ふと、食べ物に囲まれて生きている自分に、引け目を感じることはないですか。

こどものころ、ご飯を残そうとすると「世の中には食べたくても食べられない人がいるんだぞ」と怒られた。

テレビでは、ご飯を残したこどもたちが「もったいないおばけ」という、野菜の顔をしたお化けに襲われるACのCMが流れていた。

だから、おとなになった今でも、ご飯を残さず食べる。その習慣はとても良いことだけど、おとなになると、ここに「感謝」を上乗せしたくなる。

仕事が終わり、奥さんと合流して、スーパーマーケットで食べたいものを買い、おもしろい動画をみながら空腹を満たす。満たしすぎて「くるしい〜」とか言ったり。

そして5回に1回くらい、「こうしてお腹いっぱい食べられることは、あたり前のことじゃないんだよ」と、あらためてこの瞬間に感謝する。

生産者に感謝、運送業に感謝、販売者に感謝、調理人に感謝。
こういう時代を作り上げてくれた先人にも感謝。

しかし、感謝はしまくってるんだけど、それ以上のことをしていない。

あれ?こうやって感謝しているだけでいいのかな、とちいさな罪悪感が残る。

これ以上どうしたらいいんだろう…と、まだなにかやれることってあるのかな…と、落ちつかない気持ちになる。

しかし考えても、どうすればいいか、なんだか具体的なイメージが湧いてこない。宇宙の果てを考えたときと、似たような感覚。

日本が食べ物に困らず、お金さえあればいつでも食べ物が買えるようになったのは、ここ60年くらいらしい。

人類が誕生したのが 200 万年前。
その歴史を 24 時間で表すと、この60年は 23 時間 59 分 57 秒で、なんと飽食の時代がはじまって、まだ 3 秒にすぎないんだって。

だとしたら、この飽食の時代になすべきことの真理を、分からなくてとうぜんだと思うんだよね。

生産者にお礼の手紙を書くとか、調理人にお礼の電話をするとか、そういうことをすればいいのかな?
それはもちろん、とてもあたたかい行動だけど、でもそれは、すべて感謝の範疇にはいるよね。

自分で食べ物を育てればいいのかな?
でもその先にあるのも、けっきょく感謝だよね…。育てる→食べる→感謝って具合に。

ああ、そうか、分かったぞ、この違和感の原因。
そうだ「世の中には食べたくても食べられない人がいる」。

つまり、たまたま日本は飽食の時代を迎えているけど、世界にはまだ飢餓に苦しんでいる人がいる。

その人たちも、食べ物を不自由なく食べられるようになれば、この違和感は消えるのかもしれない。

じゃあ、そのためになにができるのかな。それを、考えればいいんだね。そうかそうか、宇宙の果てでもなんでもない、なにか見えてきたぞ。




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