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わたしはわたしの広報にもなれない。

人生で「では自己紹介をお願いします」とパス出しをされる場面は少なくないと思う。このときに「あのその」となってしまうのがわたし。

だからnoteで自己紹介記事みたいなのものを作ろうと思ったまま作れていない。
つまり苦手ってことばがこのうえなく当てはまるんだけど、でもおかしいよね。

何をどう考えたって、人は自分の紹介をすることが世界でいちばん上手じゃないと計算が合わないじゃないですか?だって、24時間一緒にいるし。
心の中も丸見えだし、腹黒い部分も、恥ずかしい部分も全部知ってる。知らないのは肉眼の生で見た後頭部とか背中とか身体の後ろ側のことだけ(これはこれからも無いと思うけど・・・)。

なのに上手にできない。
ただただ記号のような住所、年齢、生年月日、学歴、社歴などを伝えるだけならできる。でも人が期待する自己紹介ってそういうものじゃないよね。

お題をいただける場合もあるじゃないですか。「好きな趣味」「食べ物」「タレント」とか。
でもねこれも、趣味は○○で、好きな食べ物は○○で、とか話しながらも「自分のこんな話、聴きたいか?」と持ち前の謙虚さが出力全開になって、ただお題に答えるだけで話を広げない。広げられません。
まったくトークが乗らないまま中途半端な情報提供で終わります。

過去に感心した自己紹介がありました。
今の会社に入社した初期研修で、持ち時間5分(地獄)くらいで自己紹介をさせられた。そのときの同期で、こんなことを話したメンズがいた。

最初は、出身は○○で、前の職場は○○で、と当たりさわりのない話。たしか講師のお題もいくつかあって、それもそつなく消化してた。
そこから「あと、自分には座右の銘がありまして。それは、鉛筆のような男になれ、ということばです」と興味を引く話題へ。
もちろん、講師も他の同期も一同「?」だった。

「これは、前の職場の上司の教えでもあったんですが、鉛筆は真ん中に一本かたい芯が通っています。まずは男として常に芯が通った男でいろ、と。そしてその芯は木でおおわれている。芯がありながらもいつも周りには気(木)を使っている男になれ、と」

10年以上前のことなのに、いまだに覚えているくらいだから、おそらくその場にいた人々は「(おお~)」と思っていたに違いない。やっぱり、講師は大きめにリアクションを取っていたかな。
細かいところは覚えてないけど、それがまたごく自然な流れで話していて、決して「いいこと言うぞ」みたいな空気は感じなかったんですよね。

そんなの、できんがな。

テレビ番組で、企業や商品を紹介するときに「広報」という肩書きの方が登場することがある。
えらいもんで、自社のことや商品開発の経緯などをスラスラーと話しますよね。それを見るたびになんかとても頼もしく思うというか「ああ、この人にこの会社の魅力やオススメ商品なんかを訊けば当たり前のように答えられるんだろうな。プロなんだな」と感心してしまう。

わたしは、自分自身のなかにある売上No.1商品でさえよく分かってない。あ、手汗をよくかきます。昨日このネタ書いたし。
ああ、これではいつまでもわたしはわたしの広報になれないぞ。

人のことはいくらでも紹介できる。たとえば、係長のことも課長のこともいくらでも紹介できる。10年以上の付き合いだ。良いところも悪いところも存分に伝えることができる。みんな、そういうところを知りたいだろうし。

あれ?自分を紹介するって、そういうことを言えばいいのか??

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