洞察240328 「今はあまり仕事をしたくないな」
(※Xでの投稿を自ら抜粋したものです)
今日、いくつかの仕事のピリオドがついた。 去年くらいから「あまり仕事をしたくないな」と思ってる。 これから激動期が来ると考えてるから。 フリーハンドを得たいから。 「仕事の手を止めろ。そして周囲を観察し、学び直せ」とわいの勘が囁いている。 すでに実際、仕事のやり方も結果も「これまでと同じ」ではなくなってきている。 わいのいるコンテンツ業界は特にね。
非常に幸運なことに、ここ数年でトレーダーとして一定の成果があり、働かなくとも生活はなんとかなる環境は手に入れている。 作業に集中してはいけない。 よそ見しろ。 気になることはちゃんと受け入れ、試し、考えなければ。
働くにしても、生成AIのような新技術を実践で使えるような働き方をしたいね。
生成AIを誰でも使えるようになって、最近言われてる「一人社長の時代」は確実に来てるよね。 一人か二人のような最小のチームで、かつてそれなりの規模の企業がやっていた成果が出せるようになる。
生成AIが出てきて、10万もするグラボ買ってStable Deffusionも試したし、ChatGPTもClaudeもMidjourneyも課金してる。 それらで直接仕事をしてるわけじゃないけど、「AIに出来ることと出来ないこと」「今後どう社会が変わるのか」の雰囲気を探ることはできたと思う。
例えば、うちでは漫画を作ってるけど、手描きの漫画家は問題なく生き残れると思う。
だって「鳥山明が生成AIを使ってたら残念」でしょ? エンタメは大衆の見たいものを届ける仕事。 AI使った漫画があっても全然いいけど、フル手描きの漫画は「手作りのあったかみ」があるので生き残れるw 土産屋の職人が彫った木彫りのクマみたいなもん。
一方で、2次元イラストの価値は大きく「薄まってしまった」ように思う。 薄まってしまったのはもうどうしようもない。 インフレで下がった貨幣価値が元の価値に戻らないようなもん。 「エロけりゃいい」的にAIのイラストで満足する層はそれなりにいるし、現にブログやYouTubeのサムネでAI絵は使われている。
ブログや時事ニュースも激しく薄まってしまった。 メディア運営は今後さらに大変だろうなと思う。
小説も評論も生成AIは作れるけど、今後はより「誰が書いたのか」が問われる時代よな。 もはや作家になることとは、SNSのインフルエンサーになること同義なのでは。
イラスト、小説、音楽、動画、3DCGなど。 もはや思いつくデジタルコンテンツのほぼ全てをAIは生成できる。 そしてコンテンツの価値は全体に「薄まってしまった」。 ARKによるとアメリカのライターのギャラは暴落したらしい。翻訳家もそうだろう。
その上で、今後何がコアになるのか、「価値はどこで薄まらないのか」考え続けなければ。 株式投資・トレードなんかは、価値が薄まらない(むしろ濃くなる)分野やとわいは思うね。
要するに今は「作業マン」になるな、ということ。 日本人は作業マンになることをむしろ美徳としている節がある。 悩まなくてすむし、作業は確実な価値だと思い込んでる。 でもいずれAIロボットに代替される可能性が高い。 作業マンモードになると周りが見えなくなるし、新しいもので遊べなくなる。
AIツールで生成されたコンテンツが、すでにメディアに溢れはじめている。 この増殖を止めることは不可能だろう。 そしてAIによって生成されたコンテンツのほとんどは価値をもたないだろうね。
AIによっていくらでも目を引くコンテンツは作れるけど、大事なのはやはり「誰がやってるのか」だろうね。 個人ブランドだろうし、アイデンティティは明確にした方がいいよな。
Claude3は「なんJ」のスレを生成できる、というのがいい例よな。 アノニマスの会話なんて、AIでいくらでもフェイクを作れる。
原理的には、AI学習に用いられるニューラルネットワークは脳のシナプスの働きを模倣していて、人間の大脳皮質の働きは全部できると考えてる。 とはいえ、たとえば「AIの科学者」を生み出せるほどには、技術的なブレークスルーが足りてないみたい。 でも時間の問題かも。
AIが人類のために科学を進展させ、発明する時代。 それは人類の時代の終わりかもしれない。
AIの研究開発はまだ始まったばかりで、AGIまでには遠いし、もっと速いGPUも必要になる。
生成AIは大規模言語モデルや画像・映像生成モデルだけではないのだろうな。 今はまだ想像もできないブレイクスルーがまだあるのかも。
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