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岸田政権レビュー①~岸田政権の経済政策「新しい資本主義」の変容~

要旨

 岸田政権のレビューとして、まずは岸田政権の経済政策の骨格である「新しい資本主義」を扱う。「新しい資本主義」にはどういうイメージをお持ちだろうか。分かりにくさがあるのではないか。その分かりにくいさの最大の要因は「新しい資本主義」の中身がその時々で微妙に変容していたことであると考える。「新しい資本主義」の変遷を詳細に見ていくことで、岸田政権はどういった経済を目指し何をやろうとしたのかを紐解く。

はじめに

 2024年8月14日岸田総理は自民総裁選への不出馬・首相退任を表明した。新型コロナウイルスとの闘いに終わりが見え始めた21年10月に誕生して以来、22年9月ごろまでは60%程度(NHK世論調査より)という高水準で安定した支持率を維持していたものの、安倍元総理の銃撃事件をきっかけとした旧統一教会問題、国葬問題等を契機に支持率は急落した。その後、ウクライナ電撃訪問やG7広島サミット等の外交成果もあり支持率は回復したものの、安倍派の裏金問題等の政治とカネの問題を理由に支持率は再び下落し、23年末には20%台に下落しその後は低迷が続いた。
約3年に及んだ岸田政権をどのように評価すべきだろうか。新型コロナウイルスは世界を一変させ、世界的な物価高はこれまで30年間ゼロで凍り付いてきた我が国の物価・賃金・金利を動かし、ロシアによるウクライナ侵略は国際秩序の根幹を揺るがした。また、日々厳しさを増す東アジアの安全保障環境、世界が経験したことのないスピードで進む少子高齢化・人口減少、災害の頻発化・激甚化等、岸田政権は歴史上かつてないほど多くの課題に直面していた。これらの複合的で複雑な課題に対し岸田政権はどのように取り組み、何を成し遂げたのか。「新しい資本主義」を軸とした経済政策、防衛費倍増、原発再稼働とALPS処理水の海洋放出、こども予算の抜本強化等の岸田政権の「目玉政策」を振り返ることで岸田政権を徹底評価する。

 第1弾として岸田政権の経済政策をレビューする。世界的な物価高を理由に我が国の輸入物価はオイルショック以来に急騰し、消費者物価指数(CPI)は40年ぶりの高水準を記録した。アベノミクス下の異次元の金融緩和でも達成できなかったCPI2%を優に超え、我が国経済に地殻変動ともいえる変化が起きた。安倍・菅政権の経済政策が「アベノミクス」ならば岸田政権は「新しい資本主義」と言えるだろうが、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の3本の矢を軸としたアベノミクスと比較して、「新しい資本主義」にはこうした変化を前にある種分かりにくさがあったのではないだろうか。



 では、なぜ「新しい資本主義」にはメッセージ性・説得力が欠けていたのだろうか。30年ぶりの物価高に直面する中で臨機応変に対応することが求められた側面はあるものの、岸田政権が目指すあるべき日本経済の姿やそれに向けて何をするのか、ということがその時々で微妙に変化し続けていることが原因ではないだろうか(例えば、当初掲げた「所得倍増計画」がいつの間にか「資産所得倍増計画」に代わっていたように)。
 本稿では、「新しい資本主義」の変容を時系列に追って詳細にみていくことで、岸田政権の経済政策とはいかなるものなのかを明らかにする。

「新しい資本主義」の誕生

 2021年6月11日、岸田は派閥横断型の「新たな資本主義を創る議員連盟」を発足させ、会長に就任した。「新しい資本主義」の誕生である。

堀内のりこ衆議院議員HPより引用

 設立趣旨では、「近年、国内外において、成長の鈍化、格差拡大、一国主義・排他主義の台頭、国家独占経済の興隆など、「資本主義」の価値が揺らいでいる」とし、課題として「株主資本最優先」を挙げた。そして、こうした現状に対して、新たな資本主義の形として、分配政策の強化が不可欠であるとした。また必要な取組として、企業利益のより適切な分配、大企業と中小企業との間の分配の適正化、子育て・家庭支援の強化等を列挙した。
 ここで岸田の中で温められてきた「新しい資本主義」が初めて形を見せることになるが、他方で、本議員連盟設立の背景には政治事情もあった。というのも、岸田は2020年9月の総裁選で菅に大敗し、岸田派内では、派閥を超えた連携で再起を図ることが発案されていた。本議員連盟はそういった政治事情もあり設立されたものだった。実際、初会合には派閥を問わず140名を超える国会議員が集まり、ひな壇には議連の最高顧問を引き受けた安倍晋三、麻生太郎、顧問となった甘利明の3Aが座った。
 新しい資本主義は分配という岸田カラーが強いものとなったが、そうした政治事情から安倍派にも配慮し、成長も重視するという姿勢は崩さなかった。

総裁選出馬

 新しい資本主義が「キシダノミクス」として初めて体系的にまとめられ、そして一気に世間の注目を集めるようになったのが、21年8月の総裁選出馬会見だろう。
 岸田は、「小泉政権以降進められてきた新自由主義的政策は確かに我が国経済の体質強化と成長をもたらした」が、「その一方で、富める者と富まざる者の分断なども生じている」と指摘し、「「成長と分配」の好循環による「新しい日本型の資本主義」を具体化」していくと宣言した。そして、成長戦略と分配戦略それぞれの取組を述べた。ポイントは以下のとおり。

 小泉内閣以降の新自由主義的経済政策との対比の形をとって「新しい資本主義」を持ち出し、分配を強調したことから、当時はアベノミクスとは一線を画する分配重視の経済政策を進めていくのではないかという期待感が世の中全体にあったように思われる
 また、総裁選にあたっての公約でも成長と分配の好循環の実現がうたわれたが、その中で、「「令和版所得倍増計画のための分配政策」を進めます」と記した。さらには、「金融所得課税の見直しなど「一億円の壁」の打破」も公約の一つに掲げた。
 総理就任後の最初の会見(2021年10月4日)でも「新しい資本主義」が目指すものについて説明したが、これまでの説明と大きく変わることはなかった。また、質疑応答の中で分配戦略の中で金融資産所得課税も選択肢の一つかと問われた際に、「新しい資本主義を議論する際に、こうした成長と分配の好循環を実現する、分配を具体的に行う際には、様々な政策が求められます。その一つとして、いわゆる1億円の壁ということを念頭に金融所得課税についても考えてみる必要があるのではないか。様々な選択肢の一つとして挙げさせていただきました。当然、それだけではなくして、例えば民間企業において株主配当だけではなくして、従業員に対する給与を引き上げた場合に優遇税制を行うとか様々な政策、更には、サプライチェーンにおける大企業と中小企業の成長の果実の分配、適切に行われているのか、下請いじめというような状況があってはならない、こういったことについてもしっかり目を光らせていくなど、様々な政策が求められると考えています。御指摘の点もその一つの政策であると思っています。」と述べ、選択肢の一つであることを明言した。

総理就任後の変化

 総裁選に勝利したのち、10月8日の所信表明演説で新しい資本主義の考え方や目指す姿を初めて国会に説明をした。総裁出馬会見は政治家としての演説だが、所信表明演説は総理、つまりは行政府の長としての演説となり(もちろん演説本文自体も官僚が作成する)、これまでの政権との連続性の観点、あるいは政治的バランスの観点からやや軌道修正が図られた。

首相官邸HP(https://www.kantei.go.jp/jp/100_kishida/actions/202110/08shu_san_honkaigi.html)
より抜粋


 まず注目すべき点は、アベノミクスからの決別というイメージの払しょくを図ろうとした点だろう。所信表明演説のうち経済政策を述べる部分の冒頭に、「マクロ経済運営については、最大の目標であるデフレからの脱却を成し遂げます。そして、大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の推進に努めます。」と述べた。アベノミクスを継承するとは言わないもののアベノミクスの核心ともいえる「デフレ脱却」と「3本の矢」を継承することを宣言した。
 それ以外については、総裁選出馬会見で示した基本的な考え方から特に大きな変更はなかったが、「成長の果実を、しっかり分配することで、初めて、次の成長が実現します。大切なのは、「成長と分配の好循環」です。「成長か、分配か」という、不毛な議論から脱却し、「成長も、分配も」実現するために、あらゆる政策を総動員します。」と述べるなど、「成長」も重視する姿勢を強調し、「分配色」が弱まった印象もある。「令和版所得倍増計画」や「金融資産所得課税」については全く言及しなかった。まさに、岸田政権の新しい資本主義の原形が初めて示された演説であったが、総裁選出馬時の「新しい資本主義」から早速やや変容したことが印象付けられた。
 また、新しい資本主義のビジョンの具体化に向けて、「新しい資本主義実現会議」の創設も発表された。
 10月10日にはフジテレビの番組「日曜報道 THE PRIME」に出演し、金融資産所得課税について、「「成長の果実を分配するためには、いろいろなことをやっていかなければいけない。その選択肢のひとつとして『金融所得課税』の問題も挙げた。」、「民間企業の従業員の給料の引き上げを考え、看護・介護・保育といった、国が主導して決められる賃金も引き上げていく。こういったことが先で、当面は『金融所得課税』について触ることは考えていない」と述べ、このころ急速に期待値が高まっていた金融資産所得課税、さらにはアベノミクスとは異なる分配中心の「新しい資本主義」という印象は一気に薄まることとなった。確かに金融資産所得課税は公約の中の一つの政策に過ぎなかったが、特にフューチャーされ、それにより株式市場が動揺したことも早期に金融資産所得課税に向けた取組を後退させて要因の一つだろう。

 そして10月26日に第1回新しい資本主義実現会議が開催された。総理は、「成長戦略によって生産性を向上させ、その果実を働く人に賃金の形で分配することで、広く国民の所得水準を伸ばし、次の成長を実現していく「成長と分配の好循環」が重要との認識を共有できた」と発言した。新しい資本主義が目指す「成長と分配の好循環」が具体的にどういった経路で実現されるのかが明確に示されたが、ここが一つのターニングポイントであると思う。
ここで最も重要なことは、「分配」=「賃上げ」であることを明確にした点である。これまでは総裁会見時の「所得倍増」が注目され、成長と分配の好循環の「分配」とは所得倍増を意味すると一般的には理解されていたが、「賃金の形で」という限定をかけることとなった。賃上げは奇しくも22年春ごろからの物価高によりさらに重視され、岸田政権の経済政策の第1の柱ともいえるようになる。
 また、10月26日に閣議決定された質問主意書の中で、「令和版所得倍増計画」とは、「平均所得や所得総額の単なる倍増を企図したものとしてではなく、(略)、「一部ではなく、広く、多くの皆さんの所得を全体として引き上げるという、私の経済政策の基本的な方向性」として示されたもの」、「池田内閣(当時)の計画のような具体的な数値目標を盛り込んだ経済計画を策定することは現時点で考えていない」と答弁しており、ここでも世間が期待する「キシダノミクス」と岸田政権が掲げる「新しい資本主義」がずれていることがわかるだろう。
 そして成長と分配の好循環のイメージを事務局提出資料で明らかにした。成長戦略、分配戦略それぞれで企業が果たすべき役割を明記する点に特徴はあったが、企業経営を変えていくという点はその後の「成長と分配の好循環」の一丁目一番地からは落ちることとなる。

「新しい資本主義」初の政策的具体化

 こうした中、「新しい資本主義」の具体的取組を初めて示すこととなったのが、2021年11月19日に閣議決定された「コロナ克服・新時代開拓のための経済対策」である。ここでは、「未来社会を切り拓く「新しい資本主義」の起動」を柱の一つに掲げ、成長戦略として、科学技術立国の実現(10兆円規模の大学ファンドの年度内実現、先端科学技術の研究開発、GX、スタートアップ支援等)、デジタル田園都市国家構想(デジタル田園都市国家構想関連地方創生交付金等)、経済安全保障(先端半導体の生産拠点整備・研究開発支援等)、分配戦略として、民間部門における分配強化に向けた強力な支援、公的部門における分配機能の強化に取り組むとした。
 分配戦略で盛り込まれた施策で特筆すべきは次の2点だろう。まず1つ目が、人への投資を打ち出したことだ。3年4,000億円の施策パッケージを推進し、労働移動やステップアップの支援、リカレント教育や職業訓練の拡充等を盛り込んだ。これらはのちの三位一体の労働市場改革へと拡充されることとなる。そして2つ目が、公約に掲げられた公的価格の抜本的見直しの一環で、保育士・幼稚園教諭、介護・障害福祉職員に対して、収入を3%(月額9,000円)引き上げるための措置、看護師に対しても、段階的に収入を3%程度引き上げていくことを前提に、収入を1%(月額4,000円)引き上げるための措置を前倒しで実施することとした点だ。そもそも介護、看護、保育等は公的価格として国や自治体が「サービス料」を決めており、介護士、看護師、保育士等の賃金も公的価格の枠内で国や自治体が決定している。それら公的価格の見直しは診療報酬改定のタイミングで行われることとなっているが、それを待たず、前倒しで賃上げを進めるというのがポイントである。しかし、総裁選出馬時に掲げた「新しい資本主義」からの早速の変容が指摘される中、そうした批判を払しょくするほどの分配戦略としてはこの経済対策は弱かったのではないか。成長戦略においても、10兆円ファンドや経済安全保障等、今回の経済対策に盛り込まれたものの中には画期的でかつ必要不可欠な政策が盛り込まれていたことは確かだが、それが国民にとって分かりやすいメッセージ性を持つもの(例えば岩盤規制の緩和や観光立国等)であったかは疑問である。これも結局「新しい資本主義」の中身が分かりにくいものとなった要因の一つだろう。
 岸田政権として初めて臨むこととなる2022年の通常国会でも与野党から「新しい資本主義とはどういったものなのか」という質問が相次いだ。それに対して「今年の春、新しい資本主義のグランドデザインと、そして実行計画を取りまとめてまいりたい」として具体的なことには踏み込まず、骨太方針と一緒に閣議決定されることになる「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」で具体策含めた全容を明らかにすると繰り返した。

突然の資産所得倍増プラン-所得倍増からの完全なる変容―

 22年5月5日、岸田総理はロンドンの金融街シティの「ギルドホール」の講演で「新しい資本主義」を説明し、その中で、「もう一つ重要なストック面での人への投資が、「貯蓄から投資」です。(略)私は、貯蓄から投資へのシフトを大胆・抜本的に進め、投資による資産所得倍増を実現いたします。そのために、NISAの抜本的拡充や、国民の預貯金を資産運用に誘導する新たな仕組みの創設など、政策を総動員して「資産所得倍増プラン」を進めていきます。」と述べ、突如「資産所得倍増プラン」の立ち上げを表明した
 就任当初の「所得倍増」は完全に変容し、「資産所得倍増」にいつのまにか変わっていたことを決定づけるものだった。NISAやiDeCoの拡充そのものは、例えばNISAでは制度自体を恒久的なものにするなど文字通り「抜本的な拡充」であり、また家計金融資産の活用はインフレの中家計の資産を守る手段として非常に重要なもので、また日本経済にとっても大いにプラスに作用する取組ではあるが、それが「所得倍増」のための取組にしては弱く、世論としてはネガティブな反応だったのではないか。1か月後に閣議決定された骨太方針2022にも「NISA(少額投資非課税制度)の抜本的拡充や、高齢者に向けた iDeCo(個人型確定拠出年金)制度の改革、国民の預貯金を資産運用に誘導する新たな仕組みの創設など、政策を総動員し、貯蓄から投資へのシフトを大胆・抜本的に進める。これらを含めて、本年末に総合的な「資産所得倍増プラン」を策定する。」と記載され、その後、11月28日に新しい資本主義実現会議において同プランが決定されたが、基本的には5月の講演で述べられた内容のものだった。

グランドデザインのお披露目

 22年6月7日、骨太方針と同じタイミングで「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」が閣議決定された。そこでは「なぜ新しい資本主義が必要なのか」から振り返られ、新しい資本主義を貫く基本的な思想として、①「市場も国家も」、「官も民も」によって課題を解決すること、②課題解決を通じて新たな市場を創る、すなわち社会的課題解決と経済成長の二兎を実現すること、③国民の暮らしを改善し、課題解決を通じて一人ひとりの国民の持続的な幸福を実現することを掲げた。そして新しい資本主義実現に向けた考え方して、①分配の目詰まりを解消し、更なる成長を実現、②技術革新に併せた官民連携で成長率を確保、③民間も公的役割を担う社会を実現を挙げた。基本的な思想と後者の3つの考え方の違いは必ずしも明かではないが、少なくとも小泉政権下の小さな政府に代表されるようになるべく国のコミットを弱めようとする路線から、国も民間も投資を行うという路線へとシフトチェンジすることが明確にされた。
 新しい資本主義実現に向けた具体的な取組として、人への投資、科学技術・イノベーションへの投資、スタートアップへの投資、GX及びDXへの投資の4本柱に投資を重点化するとされた。
 人への投資としては、賃金引上げに向けて、賃上げ税制等の一層の活用、中小下請取引適正化等を通じた価格転嫁による賃上げ原資の確保、介護士・保育士等の処遇改善のための公的価格の更なる見直しを行うとされた。また、リ・スキリングを通じた労働移動の円滑化、資産所得倍増プランも掲げられた。さらに「子供・現役世代・高齢者まで幅広い世代の活躍を支援」と称して、こども家庭庁の創設やその後こども未来戦略で目玉政策とされることとなる保育・放課後児童クラブの充実等も盛り込まれた。これらの取り組みはいずれも重要なものではあるが、国民が「分配」や「人への投資」としてイメージしやすい所得向上施策に必ずしも直結しない取組も含まれ、新しい資本主義の本丸でもある分配施策が全体的にふわっとした印象を与えることになったのではないか。
 科学技術・イノベーションへの重点的投資としては、量子技術、AI実装、バイオモノづくり、再生医療等の分野別の取組とともに大学教育改革を掲げたが、これまでの政府の取組と一線を画すようなものはなかった。
 スタートアップへの投資としては、スタートアップ育成5カ年計画を策定すると宣言した。これを皮切りにスタートアップへの様々な支援策が打ち上げられた。本稿では詳細の記述は省略するが、スタートアップへの支援は新しい資本主義の大きな成果の1つだろう。
 GX投資については今後10年で150兆円程度の投資が求められ、その実現のためには民間企業が今後10年超を見通して脱炭素に向けて野心的な投資を前倒しで大胆に行うことが必須とした。そのため国が10年刊のためのロードマップを示し予見可能性を大きく高めると盛り込んだ。GXに限らず、その後岸田政権下の目玉施策の1つとなる半導体支援もそうだが、民間企業の長期的観点からの大胆な投資を呼び込むために政府は単年度予算主義に縛られず中長期的な支援の見通しを示したことも新しい資本主義の特徴の1つだろう。GXでは国の先行投資分の財源のための「GX経済移行債」の創設、規制・支援一体型投資促進策等を掲げた。後者については字面では具体的な政策がイメージしにくいが、炭素税や排出量取引等がその後具現化されることになる。GXについてはエネルギー政策にも直結する重要なテーマのため岸田政権レビューの中でまた分析したいと思う。

物価高対策

 22年になるとウクライナ侵略やコロナ後の経済活動の再開に伴う需要増とコロナ禍からの供給制約等で世界的にインフレが進行し、輸入物価の急騰を通じて我が国の物価も上昇した。当初は一過性で欧米中心のものと思われていたが、春になると日本でも急速に物価上昇が始まり、岸田内閣は4月末に「総合緊急対策」を策定し、その後も「物価・賃金・生活対策総合本部」や経済対策において様々な物価高対策を講じていった。「新しい資本主義」が変容し岸田政権の経済政策が場当たり的だったという批判には、かつてないほどの物価高に直面する中でその時々に必要な施策を緊急的に手当てする必要があったことも影響しているのではないだろうか。物価高対策の詳細と評価については改めて整理することとするが、物価高により実質賃金のマイナスが続き、賃上げの重要性が高まる中、23年の春闘では平均賃上げ率で3.58%と30年ぶりの高水準となった。岸田政権が重視した「分配」=「賃上げ」が、物価高という思わぬ形で成果を出すこととなった。
 また、物価高対応が経済政策の中心となる中、23年の骨太方針では「成長と分配の好循環」に加え「賃金・物価の好循環」の実現が謳われた。物価だけが上昇するのではなく、賃金もそれ以上に上昇し、さらには、①物価上昇による賃上げ、だけでなく②賃上げによるコスト増を企業は販売価格に転嫁することでさらに物価も適度に上昇する、ということが重要視された。
 この「賃金・物価の好循環」の実現については日本銀行の金融政策正常化に向けての必要条件として植田総裁も再三述べていたことであり、重要な視点ではあるものの、「成長と分配の好循環」との関係性がわからず、結果として「新しい資本主義」の取組も存在感を薄めることとなった。

構造的賃金引上げに向けた「三位一体の労働市場改革」

 物価高対応の流れで「賃上げ」が岸田政権の最重要課題、「新しい資本主義」の中核となる中、構造的賃金引上げに向けた議論も加速していった。物価高対策以前の「新しい資本主義」においても持続的に賃金が上がる仕組みを整備することは主張されていたが、成長性のある産業への転職の機会を与える労働移動の円滑化、そのための学び直しであるリスキリング、これらを背景とした構造的賃金引上げの3つの課題に同時に取り組む方針が22年11月に表明された。
 そして23年の骨太方針、グランドデザインに向けて議論は更に加速し、①リ・スキリングによる能力向上支援、②日本型の職務給の確立、③成長分野への円滑な労働移動を進める、という「三位一体の労働市場改革」が打ち出され、23年5月16日に「三位一体の労働市場改革の指針」が公表された。年功賃金制といった旧来の雇用システムを打破し、希望する個人が、雇用形態、年齢、性別、障害の有無を問わず、将来の労働市場の状況やその中での働き方の選択 肢を把握しながら、生涯を通じて自らの生き方・働き方を選択でき、自らの意思で、企業内で の昇任・昇給や企業外への転職による処遇改善、更にはスタートアップ等への労働移動機会の実現のために主体的に学び報われる社会を創っていくこと、また企業による人への投資も抜本的に強化することが基本哲学とされた。

2回目、3回目のグランドデザイン

 23年6月に2回目のグランドデザイン「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版」が公表された。新しい資本主義の哲学や目指すべき姿は変更はなかったが、22年のグランドデザインの策定後各分野で進んだ取り組みを更に着実に実行していくとされた。このころから急速に政策課題として浮上した生成AIへの対応等が新たに盛り込まれたものの、全体的に目新しい内容はなかった。もちろん「新しい資本主義」や「成長と分配の好循環」は複数年度かけて取り組むべきものであり毎年のグランドデザインでこれまでになかった大胆な取組を取り上げることは容易ではなく、またそれが望ましいものでもないと思うが、グランドデザインの改訂版を通じて「新しい資本主義」に対する国民の期待感を再醸成させることはできなかった。24年のグランドデザインにおいてもそれは同様だった。ちなみに、毎回のグランドデザインには参考資料集として「新しい資本主義」の重点施策の裏付けとなるような指標等が掲載されているが、いずれも諸外国での論文等から幅広く情報収集されており大変参考になるため是非一読をお勧めする。

総括

 これまで「新しい資本主義」の変遷を詳細に辿ってきたが、「新しい資本主義」をどのように評価すべきだろうか。総じて言えば、「新しい資本主義」の各取組みそのものはNISA抜本的拡充やスタートアップ支援など大きな意義を持ったものだったが、「新しい資本主義」を貫く思想、あるいは「新しい資本主義」が目指す日本経済の姿に分かりにくさがあったのではないか。つまり、「新しい資本主義」を通じてどういった経済社会を目指すのかが曖昧で、かつ「新しい資本主義」の旗印として掲げられた主要施策がその時々で微妙に変化していったことも分かりにくさ・曖昧さを際立たせたのではないか。また、そもそもこれまでの資本主義では解決できない問題がある、これからは民だけでなく官もリーダーシップを発揮するといった課題意識は国民の生活からは実感しにくいものではなかっただろうか。少なくとも「3本の矢で民主党政権で落ち込んだ日本経済を復活させる」というアベノミクスと比較して分かりやすさは劣っていたのではないだろうか。もちろん当初は金融所得課税に代表されるような再分配政策の強化としてアベノミクスとは異なる新しい経済パッケージとして期待感は高かったが、所得倍増が金融所得倍増プランに変わった(と受け止められた)ように「新しい資本主義」の目玉政策がその時々で変わり、それが「場当たり的」に映ったのではないだろうか。「新しい資本主義」というネーミングが、アベノミクスが象徴する新自由主義からの脱却を思わせるような壮大なものであったがためにその期待に応えることができなかったのではないだろうか。
 22年から物価高が急速に進展し、物価高を上回る賃金上昇が「新しい資本主義」の最重要課題になったが、23年、24年と春闘は30年ぶりの高水準を達成し、賃上げは確実に起こってきていると思われる。「新しい資本主義」で当初掲げたような分配政策の結果としてではなく、物価高という外的ショックへの対応としてだったかもしれないが、少なくとも30年凍り付いた賃金が動き出しているのは事実である。そして、官製賃上げと揶揄されることはあるが、それでも岸田総理が先頭に立って賃上げを要請し、また賃上げ原資確保のために価格転嫁を促進する等して賃上げの機運を高めていったことは評価すべきだろう。また、繰り返し述べているようにNISAの抜本的拡充や、スタートアップの支援、半導体・生成AIといった戦略分野への国の積極的支援など「新しい資本主義」のもとで取組が始まった重要政策も数多く存在する。次なる総理がどういった経済政策を打ち出すのかはまだ不透明な状況だが、「新しい資本主義」で掲げられた政策の多くは次期政権でも重要政策として引き継がれるのだろう。その際、重要なのは「新しい資本主義」に変わってどういうネーミングでどういうパッケージで刷新感を打ち出すことができるか、国民にとっていかに実感しやすい課題設定をすることができるか、政権期間中いかに「ぶれずに」そのパッケージを推進しつづけることができるかということだろう。


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