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「DAZAIラップ」2021年5月17日の日記

・風、つよ。


・そのうえ雨まで降っていた。こんな天気は久しぶり。なんだか夏って感じがしてきた。
・夏は暑くて日差しが強くて、目に映るものすべての彩りが鮮やかに見える気がするので好き。色の反射が強いというか。もしわたしのこの感覚に科学的な根拠が伴っていなかったら、わたしは日常をまったく頼りにならない自分の感覚だけで生きています。暑くて眩しいという身体の反応のついでに錯覚して世の中を鮮やかに見ている。そうだったら幸せな奴すぎる。


・天気が良い日のお昼休み、わたしはよく冗談で同僚に「こんなに天気が良い日に働くべきではない」と言う。いや、冗談ではなかったです。本気です。わたしは本気で「こんなに天気が良い日に働くべきではない」と思っているし言っている。


・でも、今日の悪すぎる天気の中外を歩いているときも、わたしは1人で「こんな天気の悪い日に働くべきではない」と思った。


・天気が良い日は外へ目を向けて、その天気を存分に楽しんで、わが身の原始的な部分を満足させるべきだと思う。逆に天気の悪い日は外へ目が向かない。内側へ目を向けて、自分に向き合って家でじっとしているべきだと思う。


・仕事をするに最適な天気。それはそもそも、朝のルーティンの中で天気に気が向かないレベルのなんでもない天気の時。外にも内にも目が向かないときには、手持ち無沙汰になって、テレビのリモコンを押すことすらめんどくさく、いっそ誰かわたしの予定を全部決めてくれと思う。そういうときは、仕事をしてお金をもらうのもいいかなと思う。


・若者のみなさん。これが、”志望動機”を飲み込んだ大人の姿です。



・「若者のみなさん。」で思い出したけど、昨日のずっと真夜中でいいのに。のライブ、会場に来ていたお客さんの、おそらく過半はわたしより若い学生さんと思われる世代の子たちだった。10代後半が多いのかも。わたしはこれまで、ああいう「若い人の集団」にいるとき、自分がその「若い人の集団」のもっともアベレージな存在だったので、普段、年齢層の高い職場で働いているうちに、いつの間にか自分がひと世代上の人種になっていることにとても驚いた。


・まじじゃん。わたし、これだけの「若い人の集団」の中で、その集団のアベレージにいない。中心にいない。外から見る側になっている。シニアの始まりだ。


・「若者の終わり」と「シニアの始まり」という2つの言葉を比べた時、どちらが未来があるように感じるかと言うと、わたしは「若者の終わり」なんだけど、どうですか。


・「若者の終わり」は「若」が終わったにすぎず、むしろそこからが本番という感じがする。「若者の終わり」の言葉のむこうには長い道が見える。
・「シニアの始まり」についての個人的な所感はわざわざ書いても良い印象がないので書きません。


・アニメ「月がきれい」を観始めた影響で、太宰治の「女生徒」を読み始めました。

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・この黄色のマーカー部分、完全に”ラップ”だ。



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