黒柴の来歴 その15
I'm between jobs.
会社を退職した後、すぐに就職する気は起きなかった
それなりに貯金があったことと、自己都合退職とはいえ1年くらい失業手当がもらえたので、その期間は充電期間として無職を決めこんでも大丈夫だろうなぁと考えてた
当時は、いわゆるIT景気だったこともあり、特にアメリカで働くのも面白いかもなぁと考えて、英会話学校に通った
アメリカで働くというのは、前職でマネージャとなった際に、会社が海外視察という名目で、ご褒美のアメリカ旅行に行かせてくれたことが大きかった
一応、「視察」という名目だったので、現地のコーディネーターに依頼して、いくつか見学先のIT関連企業をピックアップしてもらい、そこにアポイントメントをしてもらって訪問した
こちらが中規模のソフトハウスということもあり、見学先は小規模のベンチャーがほとんどだったが、そのうちの1社は普通のPCショップだった
自分と同世代で、しかも秋葉原通いをしていた人ならわかると思うが、「ぷらっとホーム」を彷彿とさせるような規模と店内で、従業員自体も10人もいない感じだった
いろいろと話を聞いたが、そのとき作業していたのは、地元の一般企業から依頼された10台程度のPCとそれを接続するLANのセットアップということだった
このアメリカ視察は、1997年のことであり、日本ではようやくWindows95の普及からインターネットが認知され始めたくらいで、社内LANなどを設置しているような企業は、ごく一握りだった
また、その一握りの企業は、いわゆる「上場企業」であり、PCやLANの設定について、中小企業や零細企業のPCショップに発注することは、ありえなかった
この企業訪問から、アメリカという国のIT関連業の市場の広さを感じた
また、この企業訪問以外にも、スタンダード大学に立ち寄り、その周囲にあったインターネットカフェも見学した
今でこそ、マンガ喫茶のような形でインターネット接続を提供する店舗は数多くあるが、当時の日本ではインターネットへの接続を提供する店舗は全くなく、それどころか国内でWebサイトを作っている企業も少なかった
そんな市場の大きさや、ITを取り巻く環境が日本よりは格段に進んでいたこから、自分もアメリカに行けば、もう少し面白く働けるのでは?と考えて、とりあえず英会話スクールに通い出した
ちなみに、黒柴は中学の頃の英語教師運が悪く、英語は得意ではなかったというか、むしろ不得意科目だった
まあ、正直無謀だとは思ったが、それでもこの時の英語学習で、英語に対する苦手意識は無くなった
また、ある人と出会って、自分の中でパラダイムシフトが起きたのは、後年役にたった
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