黒柴の来歴 その6

オブジェクト指向言語を知る

公共系のシステムに2年くらい参画している間に、ストレスから体調を崩して十二指腸潰瘍で入院した
退院してからもとのプロジェクトに戻ることはなく、リハビリ的なプロジェクトに参画となった

一つは、ATM(Asynchronous Transfer Mode)スイッチのファーム開発、それとPHS基地局用のテストツールの開発だった

ATMスイッチのファーム開発は、MIPSをCPUとしたワークステーション上で、C、一部アセンブラでの開発となった
ATMスイッチのCPUもMIPSのため、RISCのアセンブラは過去にプログラミングしたことがある8086アセンブラとかなり異なる仕様だったので、興味深かった

ちなみに、このATMスイッチのプロジェクトは、過去に喧嘩別れした会社だったこともあり、仕事の上では普通に会話をするのだが、仕事以外の会話はほとんどなかった
そんな経緯もあり、開発にある程度の目途がついたら、メーカーのエンジニアに引継ぎを実施して、プロジェクトはあっさりと終了になった
このプロジェクトでテストをした記憶がないので、おそらくプログラムの実装が終わった段階で、プロジェクトは終了になったのだと思う

その後に携わったPHS基地局のテストツール開発は、もともと1名の後輩が担当していたのだが、彼が結婚してハネムーンに行くことと、彼自身が通信制御に関する知識がほとんどなかったため、通信の状態制御プログラムに知見がある自分が、通信制御部分の実装・テストを行った
そんな感じで、その後輩と自分、そしてメーカーのエンジニアの3名のプロジェクトだった

開発はWindows NT+Borland C++で、ここでようやくWindowsアプリのプログラミングと、オブジェクト指向開発に触れることができた
ただ、通信制御部分の設計・実装・テストだったため、画面があるWindowsアプリを作るという感じではなく、サービスとして起動される画面のないプログラムを作る感じだった

まだ、Borland C++にユニットテストフレームワーク(JavaのJUnitのような)は実装されておらず、そのため特に単体テストをやった記憶もない
PHS基地局用テストツールとしての動作確認は、メーカーのエンジニアが項目を作成してテストをしていたので、自分はほとんど携わることがなく、テスト項目の作り方ついては、学ぶことができなかった

また、通信制御部分全般の動作確認を行うために、通信制御部分を駆動するテストツール(ドライバ)の作り方を、メーカーのエンジニアに教わった
これが、自分が作った初めてのWindowsプログラム(画面あり)だった

当時のプログラミングをやったことがある人ならわかると思うが、画面のデザインと、そこで発生するイベント、イベントで実施される内部プログラムが分離された状態になっており、プログラマ自身が設定で関連づけるようになっていた
これは、Windowsプログラミングを始めたばかりの自分には、少々難解だった

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