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子どもはマスクを外せない

エピソード① ~パーティーにて~

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とあるパーティでの出来事。
知り合いの子ども連れの家族と一緒に写真撮影をする事になった。

会場内、その家族連れも皆、マスクをしていたが、さすがに「写真撮影」となると、黙っていても皆、自然とマスクを取る。

「はい、チーズ!」

カメラマンの声にあわせて、各々表情を作り、ポーズを取る大人たち。

撮影終了・・・と思いきや、ふと、子どもの方に目をやると、なんと「マスクを着けた」まま。

せっかくの記念撮影が、マスク姿のままでは、あまりにも可哀そう。

思わず、「マスクを取っていいんだよ。もう1枚撮ろうね!」と声をかける。

私のその声で、家族連れも、自分の子どもがマスクを外してなかった事に、はじめて気づいたようだ。

「マスクを取っていいんだよ」。そう言われた子どもは、なんとも嬉しそうにマスクを外す。自然とこぼれる笑み。

では、もう一度。

「はい、チーズ!。おっ、いい笑顔だね~」


エピソード② ~ある朝、街中にて~

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とある朝の日の出来事。

少し遅めの愛犬の散歩。遅めの散歩時間には、通学途中の小学生たちとよくすれ違う。

渡りたかった横断歩道が赤信号に。愛犬と一緒に信号待ちをしている時、ふと隣に目をやると、1年生か2年生と思しき、マスク姿の小学生が。

信号待ちは私と愛犬とその子だけ。いやそれどころか、その先、彼が進んでいく小学校までの道程には、現状見える限り、ぱらぱらと歩いている小学生や大人が数名だけ。

「誰もいないんだから、マスク外しな。マスクを取っていいんだよ。マスクは苦しいからいやでしょ?」とその小学生に声をかける。

少し頷きながら、マスクを外す小学生。これまた、自然と笑みがこぼれている。

恐らくは、こんな言葉をかけられたのは初めてでもあるのだろう。

笑顔が少し「はにかみ気味」なのは、そのせいかもしれない。

マスクを外したちょうどその時、信号は青に変わった。

外したマスクを握りしめた右手は、気のせいか、大きく振られている気がする。

とはいえ、もしかしたら、学校へ近づくと、やはり友達や先生の目を気にして、マスクをまた着けるのだろう。

それでもいい。恐らくは、その子の頭の片隅には、この言葉が残っているはずだから。「マスクを取っていいんだよ」

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騒動から2年半以上。悲しいかな、まだマスクを着けて歩いている大人たちが大半を占めるが、それでも大人たちは、(まわりの目を多少気にしながらも)臨機応変、マスクの着脱を行う術(これが術というのも悲しいが)を身につけてきている。

「さすがにここは外そう」「この場面では外したとしても誰にも責められないだろう」・・・マスク警察は、かなり減ってきてはいるものの、大人はそのタイミングがわかる。

一方、子どもたちは、その「きっかけ・メリハリ・タイミング・TPO」がわからない。大人たちに「マスクを着けなさい」と言われ続けて着けているのだから、そりゃ大人が「外していいんだよ」と言わないと外さないし、外せない。

本来「エチケット」であった「マスク」が、騒動開始を境にいまや「着けないとダメ」なものになってきている。

おかしな日常を、いつまでも未来のある子どもたちに残してはいけない。

これからも、気になる子供たちを見かけたら、声をかけてあげよう。

  「マスクを取っていいんだよ」と。

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