ソシャゲで育つマネジメント力
先日、ある同期とラーメンを食べに行った。
彼は大学までの僕の友人にはいなかったタイプの人物だ。
誤解を恐れずに言うと、彼はいわゆるオタクである。アニメやゲームを極めに極めているらしい。これまでの友人にもアニメ好きやゲーム好きはいたが、どうやらそれ以上の”オタク”のようだ。
そんな彼の話が自分にとっては新鮮で、彼が話し上手なのと、全く知らない世界の話過ぎる結果めちゃくちゃ面白い。
中でも衝撃を受けたのが、ソシャゲになんと100万円以上課金していることである。3年以上、毎月3-4万円の課金をし続けているそうだ。
今日はそんな彼から聞いたソシャゲの世界について書いてみようと思う。
ソシャゲの世界
そもそもソシャゲとは、SNSをプラットフォームにしたオンラインゲームの総称である。(ニコニコ大百科より)
スマホの普及によって、かなり身近な存在となってきたソシャゲだが、高額課金やゲーム依存症、ネット上でのトラブルより社会問題として扱われることも多い。
自分も無課金で、たしなむ程度にソシャゲをやったことがあるが、いわゆる上位の人たちにとっては、同じゲームでも全く違う世界になるようだ。
彼がはまっているソシャゲはRPGで、物語を楽しめるほか、全国のプレイヤーと順位を競うこともできるゲームである。
彼にとってはこの後者の、全国のプレイヤーと順位を競うのがゲームのだいご味らしく、月に1度実施される順位戦で、彼はトップ10入りするほどの強いチームのリーダーだそうだ。
ソシャゲと組織マネジメント
話を聞きながら驚いたのが、このチームが現実の組織さながらの運営がなされていること。
1チームは最大30人。リーダーと幹部数名、その他メンバーと構成される。(ゲームでフレームが決まっているわけではない。あくまで組織メンバー間での合意に基づいた役職)
メンバーに入るのは許可制で、スカウトしたり、メンバー入りを希望したプレイヤーをチームメンバーで話し合い、合意の上で参加を許可する。
メンバーの上限に制限がある以上、増えることもあれば減ることもある。普段の発言やコミュニケーションが不適切だったり、ゲーム内の貢献が思わしくない場合はクビにする。ただし、決して冷酷なものではない。改善や今後の成長が見込まれる場合はすぐにクビにされたりはしないらしい。
チームでは目標、例えば次の順位戦で全国トップ10を目指すというものが設定され、各プレイヤーが準備をする。準備にあたっては、チーム独自に開発したダメージ計算ツールや、模擬戦という本番同様の環境でテストプレイを行い、どのタイミングで攻撃したかなどのログをすべて取ったうえで、最適な戦略の分析を行う。
これらのメンバー募集や、チームメンバーとのやり取りにはTwitterやディスコード、YouTubeといった外部アプリが活用される。また、新メンバーに向けた講習会の実施や、チームを超えた情報共有も実施されている。
僕は思った。
もうこれは会社だ。スポーツだ。部活だ。
組織図があり、採用や時にはリストラもあり、適宜コミュニケーションを図りながら、練習をし、組織目標に向かってみんなで努力していく。
時には社会問題として扱われるソシャゲだが、そこは社会と強く繋がっていたのである。
ソシャゲとリーダーシップ
彼がプレイしているゲームは、彼と同じような高額課金者が多い。これは何を表すかというと、現実世界でお金を持っている人ばかりがプレイしているということである。故に彼らはコミュニケーションが上手なことに加え、礼儀正しく、組織マネジメントなどの観点でも経験を積んでいる人たちが集まっているのだ。
更に。チームでやる以上、リーダーはメンバーにタスクや仕事をお願いすることがある。タスクの中にはbotのコーディングや分析といった仕事が含まれる。そんな一定の専門性が求められるようなことをリーダーは無報酬で依頼するのだ。仕事の対価は目標の達成とチームメンバーの信頼の獲得といったところだろう。この条件下で求められるリーダーシップはかなり高度なものだと想像できる。
更に更にだ。
それらをすべてSNSやボイスチャットといったオンラインツールのみで成立させているのである。しかも一度もあったことのない、“知らない人”を相手に。また、プレイヤーの中には海外の人もいるため、時には英語でのコミュニケーションが求められることもある。
更に更に更に。彼らはそれをエンターテイメントとして楽しんでいるのだ。だからこそ、彼もゲームの話を生き生き話してくれる。聞いている自分も面白くないわけがない。
もしかしたら今ビジネスマンが求めている能力のすべては、このソシャゲで培うことができるのかもしれない。そんなソシャゲの果てしない可能性を感じた。
お金と時間
もちろん、手放しにソシャゲの良い面を推すわけではない。ゲームにばかり夢中な子がそれでいいのかと言われれば、YESと断言することはできない。
ただ、お金の使い方も、時間の使い方も各個人の自由だ。そして世の中何の経験がいつどこで活躍するかわからないものである。すべての時間、すべての経験にはちゃんと意味があると思う。
そこに”好き”と自身の意思決定があるのであれば。