日はまた沈む
電車に揺られてきみに会いに行く。前は一緒に行ってたのに、今日は現地集合だなんて。こういうのも、たまにはいいね。
窓の外を見慣れたようで小懐かしい景色が流れる。街が遠くなる。しばらく続いた山の景色が暗くなって、それからオレンジの光がわたしの目に刺さってくる。水面がキラキラと乱反射して、海に来たんだなって思う。きみの既読のまま止まったトーク画面。きみは誘ったら断れないから。今日は来てくれるって思ってたよ。ふと、ポーチの中に忍ばせたキーホルダーを握る。
「……久しぶり」
「……ん」
ホームに降りると潮の匂いが鼻腔をくすぐる。この香りを嗅ぐ度に、きみはくしゃみをしていたっけ。この1年、色んなことがあったからきみのこと思い出す暇なんてなかったよ。そのせいで、きみは思い出の中で綺麗になってはくれなかった。改札を抜けて駅を出る。花壇のそばにきみがいる。数分、きみを見つめていたらなんだか無性に胸が苦しくなって、このまま帰っちゃおうかな、なんて考えがよぎったけど、内カメラで髪を整えるきみの姿が懐かしくて何とか踏みとどまった。話しかけるときみは昔よりも伸びた髪の毛先を揺らしてこちらに振り返る。夏ももう終わりだね。病的に白い君の肌はオレンジ色に染まってて、なんだか健康そう。きみが口を開く。
「……急に呼び出して、どうしたの?」
「ダメ? 会いたくなっちゃ」
「……僕らはもう別れたんだから」
そう。最後にここできみと別れてからちょうど1年。あの日もこんなに夕焼けが眩しかったっけ。きみの耳元には夕日を反射するわたしが残した銀色の痕がある。なんだ、まだつけてるんじゃん。
「別れたけど、友達じゃん」
「……の、割には今日まで連絡くれなかったじゃんか」
「へへ……」
友達。それを言い出したのはわたしの方。だけど今日、というか昨日まではわたしたちのLINEはあの日のままだった。
「で、なんの用なの? いきなりこんなとこに呼び出してさ」
「用事がなきゃ、呼んじゃダメ?」
会う理由なんで会いたいだけでいいのに。きみは頑張って冷たくしようとしている。
「ダメじゃないけど、忙しいんだよこっちだって」
「な〜に? またゲーム?」
きみの目元にはでっかい隈。本当にきみは変わらないなぁ。きみだけはあの日のままだ。きみは好きだけど、オタクなきみは大嫌いだ。
「悪いかよ……」
「悪くないよ。忙しいのに会いに来てくれて、ごめんね?」
「別に……」
照れてる姿も可愛いなぁ。1年ぶりのきみは、わたしには劇薬だ。
「話がしたくてさ」
「……それだけ?」
ほんとに驚いた顔をしてるきみ。未発達気味な表情筋を精一杯動かしてる。
「それだけ。好きでしょ? 無駄な話」
付き合っていた時は沢山聞いてあげたんだから、きみのする特に興味も湧かない話を。そう続けようとしてやめた。その表情をきみは察してくれたみたいで。
「……それは」
バツが悪そうにうなじに手を当てる。わたしの言いたいこと、わかるよね。
「ま、座りなよ」
階段を指差す。潮風と砂に削られた階段。昔もこんな風に二人で話したよね。
「……うん」
太陽が、遠のいていく。
わたしたちが腰掛けている階段の上を一匹の蟻が歩いている。きっと階段は巨大な壁に見えるだろう。空はもう紫色に染まり始めていて、金星が眩しく輝いている。太陽が海に道を作っている。わたしたちの未来も、照らしてくれないかな。
「話ってなんの話?」
「ん〜。愛について、かな」
「……愛」
「そ。オタクはみんな好きでしょ。愛とかそういう話」
「僕と?」
「きみと」
「そか」
気まずそう。そりゃそっか。別れた相手と愛の話なんて、滑稽にも程があるし。でも逃がさない。今日はきみに苦しんでもらいに来たから。
「ねぇ」
「何?」
「『恋』と『愛』って何が違うの?」
「そんなの決まってn───」
「決まってないなんて、つまんないこと言わないでね?」
「それは……」
困ってる困ってる。
「わたしはさ、」
「……」
「恋は憧れで、愛は尊敬だと思うんだ」
「何が違うの?」
「んーっとね、」
聞き返されると難しいや。言語化ができない。
「きみの好きな漫画なんだっけ?」
「最近の?」
「ううん。じゃなくてもっと古いヤツ。剣の」
「───あぁ」
「そ。それの人が言ってたじゃん? 『憧れは理解から最も遠い』〜って」
「あぁ、」
「それと同じでさ、恋は自分の理想を相手に押し付けるものなんだと思う」
「……」
「だから、恋はその人が自分の理想から外れたら覚めるし、愛はその人がどんな形になっても好きでいるんだよ」
「……」
「きみがしてたのは、恋? 愛?」
太陽はもう水平線の向こうだ。星座はよくわかんないけど、さそり座だけはわかった。アンタレスが紅く輝いている。
「ねぇ」
「なに?」
「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」
わたしは指さす夏の大三角。
「違うよ……」
違ったみたい。
「夏の大三角は───」
そう言って身を乗り出すきみ。不意に距離が近くなる。目に入る首筋に浮かぶ青白い脈はわたしの心臓を大きく跳ねさせるには十分すぎるほどだった。
「あれと、あれと、あれ」
きみは指さす本当の大三角。
「あっちか〜」
知ってたけどね? ホ、ホントだよ?
黄色っぽい月の光は海のなんやらかんやらに反射して、黄緑色の道を海面に作ってる。月明かりは、陽光よりすっと頼りなくて。まるできみみたいだ。
「僕が思うに……」
急に君は語り始める。そういうとこだぞ、オタク。
「僕がしてたのは、恋、なんだと思う」
「……ふぅん」
「フラれた時、死ぬほどショックだったし、すごく憎かった」
そうだよね、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだったもん。
「本当は、君の幸せを願いたかった。そろそろ終わりなんだなって思った時からずっと、そうなれるように練習してたけど」
ダメだったんだよね。
「だけど、それよりもずっとショックの方が大きくて……だから」
「だから、死んじゃったんだ」
「……うん」
君の死体はまだこの冷たい水底に沈んでるのかな? それとも……
「わたしの永遠になりたかった?」
「うん」
「わたしにきみのこと引き摺って欲しかった?」
「……うん」
「わたしの初めてになりたかった?」
「っ……うん」
あ〜、また泣いちゃった。ほんとにきみはあの日のまんまだね。
「大丈夫。全部叶ったよ。だからここに来たんだ」
ポーチからキーホルダーを取り出す。
「だから心配しないで」
「……っ」
「ほら、これも持ってるから」
きみの目の前で軽く揺らす。カラカラと軽い音が鳴る。あの日ふたりでお揃いにしようって言って、きみがわたしに買ってくれたキーホルダー。それを見た途端にきみは決壊したように泣き出して……。それから光の粒になったんだ。
「またね」
そう言ってわたしは消えたきみを見送ってから。
それからキーホルダーを海に投げ入れた。
「キモ」
自己嫌悪と同族嫌悪が私を包んでいた。空はもう暗い。