伊坂幸太郎、『逆ソクラテス』を読んで
突然だが、読者諸兄らは『小学校の頃周りにいた、他の子より少し大人びた子』のことは覚えているだろうか。
大なり小なり、そんな子がいた記憶はあるだろう。僕はどちらかと言うとその『大人びた子』側だったかもしれない。それはさておき、この小説はそんな『少し大人びた子』と、その子と仲のいい語り手、そして『大人』である先生という構図を取った短編集である。と言ってもただの短編集ではなく、(伊坂幸太郎作品にはありがちなのだが)それぞれの短編が、オムニバスとも言えない程度に繋がりを持っている。そんな独特の構成に、読み終わったあと「これこそが伊坂幸太郎だよなぁ」と嘆息を漏らしたものである。
さて、この本自体は文芸版の出版は2,3年程前だ。しかし僕は諸々の事情で今日まで読めていなかった。なんなら、ついこの間書店に行ったら文庫版が出ていて思わず膝から崩れ落ちたほどだ。しかし、僕にとってこのタイミングは神がかったものであったし、本を読まなかった期間は熟成とも呼べるものだった。
なぜなら。最近になって名作映画である『ゴッドファーザー』を観たからだ。既に『逆ソクラテス』を既読の読者ならば、その理由がわかるだろう。かいつまんで言うなら、作中に『ゴッドファーザー』のやり取りを真似する少年たちが出てくるのだ。このくだりを読んだ時思わず僕は膝を打った。この作品を万全に楽しむために、僕は今日まで読まなかったのか。神がいるなら感謝したい。無論その神はドン・コルレオーネという名前ではないだろうが。
そんな話はさておき、この作品には子供時代特有の『万能感』や『大人の絶対感』、そして大人から見た子供の『強さ』のようなものが充ち満ちている。故に、この本を読んで子供時代を回想するも良し、成長した子供たちのこれからを憂うも良し、先生の苦労に懐かしむも良しと言った具合で、かなり楽しんで読むことが出来た、久しぶりに『人に勧めたい作品』だったことを書いて、日記の締めとしよう。
「ではドン・コルレオーネ」
「なんだ」
「この本を読んでいないものはどうしましょう」
「うむ、では」
「はい」
「読め」