親が我が子を育てる本当の理由
「勉強しなさい!」
「片付けをしなさい!」
「なんで言われたことをできないの?」
子どもを育てるにはお互いに幾つもの試練を乗り越えなければならない。それは経験しているときはストレスが溜まり、終えてみると悲しいものだ。
産声を上げてこの世に存在してくれた瞬間、血が繋がっていない夫婦を結んでくれたかけがえのない”宝物”である。
「五体満足で生まれて欲しい」
「健康であって欲しい」
それが子どもに対する最初の願いといったところでしょうか。
私の場合、産まれる前から「自分の子どもと手をつないで公園に行きたい」と夢にまで見て願っておりました。
子どもは親を”親にしてくれた”
子どもの存在というのは非常に大きな存在です。
なぜなら子どもがいなければ私達”親”は親になれなかったのだから。
人生の中で”親”という経験をさせてもらっているということは当たり前のように思えるが、とっても貴重な経験です。
子どもが3歳になったら親も3歳。
子どもが小学1年生になったら親も小学1年生なのです。
共に成長していくこと。それは子ども1人に対して1回だけしか経験できないし、人生の中でも限られた経験です。
愛情をたくさん注いで喜怒哀楽という感情を一緒に分かち合うことができればとても良い親子関係になれます。
子どもをたくさん遊ばせる意義
子どもは遊ぶことが大好きです。それは公園だったり、ボール遊びだったり、ブランコだったり、鉄棒だったり、ピアノだったり・・・。
幼少期であれば砂場遊びはとても良い経験となります。なぜなら、砂場で子ども同士の出会いがあり、物を貸したり借りたり、協力してお山を作ったり水を流したり、壊したり・・・。そこに子どもの”社会”が生まれます。喧嘩でさえもよい経験になります。きれいな砂場で遊ばせるときは”はだし”で遊ばせることで素足からの情報も子どもの良い経験になります。
たくさん遊ぶことで、子どもは”自分のやりたいこと”を見つけることができます。だからたくさん遊ばせることは子どもの選択肢を増やし、それを発見できた時に親はその道のレールを引いてあげることが大事になります。
夢がない子どもが多くなってきた理由は”デジタルゲーム”の存在が弊害になりつつあります。もちろん中には役立つ情報も多少はあることでしょうが、ゲームと現実の区別を教えてあげる必要がありますが、面白いゲームが存在する現在、是正は非常に難しいです。
勉強する意義
小学生になると本格的に勉強が始まります。国語・算数・理科・社会・体育その他、得意教科や苦手教科が徐々に出てきます。そして自分がどれだけ理解できているのかを点数という数字で表されます。
理解できたら偉いとか、理解できなければ頭悪いなんてのは関係ありません。
大事なのは
・生活リズムがきちんとできること
・団体生活の中で生活をすること
・人の話を聞くこと
・勉強の”やり方”を習得すること
・体を動かしてスポーツをすること
・道徳を学ぶこと
です。
親の役割
「良い成績が取れるように頑張って欲しい。」
「良い高校や大学に行って欲しい。」
我が子にその願望はあって当たり前です。
しかし、親の目的は
”子どもが自立できるようにサポートする”ということです。
例えば子どもを飛行機に例えるとしましょう。
そうなれば親は滑走路です。
飛行機(子ども)は離陸(未来に向かう)前にしっかりと点検(準備)をして、基本操作ができること(自分がやるべきこと)を確認して
それを見守る滑走路(親)には飛行機(子ども)が進むべき道があります。
準備が整ったら飛行機(子ども)は一気に加速します。しっかりと整備された滑走路(親)の道を使って。
滑走路(親)を離れると、大空(自立した人生)へ飛び立ちます。
そう、子どもが成長することを見守り、子どもが行きたい方向に道を作ってあげることが親の役割です。
親が子どもに教えてあげることを5つにまとめるならば
・自力で生活ができること
・人生には無限の可能性があること
・”失敗は成功のプロセス”であること
・他人に迷惑をかけないこと
・大事な人を大切にすること
を教えることではないでしょうか。
全ては私の持論ですけどね。
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