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2日目:とらわれる心地よさ

フェネック文章力向上月間
Day2 アニメについて


私の人生において一番好きなアニメは何かと問われれば、それは間違いなく「ジョーカー・ゲーム」だ。

昭和初期を舞台とし、陸軍の諜報機関「D機関」及びその設立者である結城中佐にまつわるエピソードが展開されていくのだが、アクションではなく会話による騙し合いがメインの硬派なアニメだ。
丁寧な時代考証、作画の美しさ、豪華な声優陣と魅力は枚挙にいとまがないが、このアニメが好きな最大の理由は「人の生き様」を多様な形で示してくれたことに尽きる。

今回は、最も大きな対比となる「真木克彦」と「小田切」の生き様に焦点を当てて話をしたいと思う。


この先はアニメ11話・12話及び原作小説「XX」「柩」のネタバレが含まれるため、回避したい方はご注意を!













D機関の信条として、「死ぬな、殺すな、とらわれるな」というものがある。
殺人及び自決は、スパイにとっては最悪の選択肢。「殺すか死ぬか」という選択肢しか存在しなかった戦前の陸軍内で、結城中佐は世間の注目を集めてしまう殺しを「周囲の詮索を招くための無意味で馬鹿げた行為」と一刀両断するのだ。
また、結城中佐は愛情や憎しみさえも「取るにたりないもの」として切り捨てる。それこそが、「スパイとしてあるがままの世界を自分自身の目で見る唯一の方法」なのだと。

上記の信条を実践して死んだのが「柩」の主人公である三好、心の拠り所を捨てずにスパイの道を諦めたのが「XX」の主人公である小田切といったところだろう。


原作小説を読んだとき、私は「柩」で真木克彦が示したスパイとして生を全うする姿にどうしようもなく惹かれた。
「真木克彦」は潜伏先のドイツでのカバーであり、不慮の列車事故に遭い「真木克彦」のまま死んでいく。その命が消えゆく瞬間ですら、職務を全うできた達成感で微笑んでいた彼の生き様が非常に格好良く思えたものだ。

実際、アニメ11話で三好が「真木克彦」としての生を全うした様子は美しかったし、今でも私は三好が作品中で一番好きだ。


けれど、今改めて本作品を見返すと、心の拠り所を捨てずに生きることを選んだ小田切ないし「飛崎弘行」にも強い魅力を感じるのだ。
彼はD機関の卒業試験で、自分を育ててくれた姉的存在の亡霊に囚われて任務に失敗する。最終的には解決するものの、自分は心の拠り所を捨てられないことを悟った小田切はD機関を辞め、本来の自分である「飛崎弘行」に戻っていく。

おそらく私自身が結婚したことも影響しているのだろう。私は心の拠り所がある幸福を、哀しみを、そして温もりを知ってしまっている。
スパイにとっては取るにたりないものだとしても、どんなときにでも守り通したい拠り所があるのだって十分に格好いいのではないだろうか。

小説では百合子が死んだ上、北支送りになる飛崎だが、アニメでは百合子が新天地として旅立った満州に辞令が変わったのも個人的には好きだ。
大切な物を守りながら生きる道にも、一縷の光を与えてもらっているようで。


こうして、時を経るごとに一つの作品の見方も変わっていく。
それが作品鑑賞の面白いところだな、と思う今日この頃。



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