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お釈迦様のお誕生日に、これまでとこれからの人生について考えてみた

先日、4月8日はお釈迦さまのお誕生日でした。
「仏教の日」にも制定されていて、花々に彩られた花御堂の中にいらっしゃる小さなお釈迦さまのお像に甘茶をかける、花祭りが行われます。
これは、お釈迦さまが誕生された際に天から神々が降りてきて祝福のために甘露の水を注いだという経典の説示に由来するそうです。
灌仏会(かんぶつえ)とも言われるその行事は、仏教で唯一”祭り”と呼ばれるものなのだとか。

一度は参加してみたいと常々思っているのですが、実は3歳のときから2年間お寺の幼稚園に通っていたものですから、もしかしたら幼少期に体験しているのかもしれません。
そんなわけで物心がつく頃には、幼稚園で仏さまに手を合わすのが日課になっていました。
ちなみに私は、信仰というよりもただただ純粋にお寺と仏像が好きな人です。

私の詳しい生い立ちについては、こちらの自己紹介記事を読んでいただければ幸いです。↓



私の父は転勤族だったこともあり、その幼稚園に通ったのはたった2年程でしたが、いまでもお寺と関わりのあるものが好きで一番好きな香りは白檀、一番好きな花は蓮です。
これは大人になってもずっと変わりません。
そして、その2年間のことは覚えているのに、その先転向した幼稚園や小学校時代の記憶はほとんどなく、バスケットをしていたことくらいしか覚えていないのですから、よほど居心地が良かったのでしょう。


そもそもなぜ、お寺の幼稚園に通うことになったのか改めて母に確認してみたところ、やはり「近かったから。」と言われました。
どんな理由であれその経験が今に至るまで、心の拠りどころになっているのは間違いないのだから両親に感謝しなくては。

大人になって旅をするようになると、全国の寺院を巡り、たくさんの仏像さまに逢いに行くようになります。
そうして益々、お寺と仏像さまの虜になっていったわけです。

お寺に参拝し、御朱印もいただいています🪷


どうしようもなく疲れて立ち止まってしまったとき、どうにか踏ん張って一歩を踏み出したいとき、私は決まってお寺を訪れます。

お線香と畳の香りの広がる空間に入ると、目には見えない暖かいなにかに包み込まれているような気持ちになります。
何のしがらみもなく自由だった幼い時の自分に、一瞬だけ戻れるような気がします。
たった一瞬の幸福がまた明日への糧になったりするものですよね、きっと。

仏さまのことを学んでいくうちに、干支別に守護本尊というものがあることを知ります。

守護本尊とはその人の一生を守り続けてくれる仏さまのこと。

厄除けや開運の守護仏として、古来より人々に信仰されてきたそうです。
私は酉年、守護本尊はどなただろうかと調べたところ『不動明王』さまでした。

福岡県篠栗町「南蔵院」の大聖不動明王像
高さ11mは圧巻です。


篠栗霊場発祥の地。
45番札所(南蔵院奥の院)お堂横「城戸不動の滝」
背筋がスンっと伸びる場所でした。

”お不動さん”として親しまれている不動明王さまは、真言密教の最高仏と位置づけられる大日如来さまの成り代わった御姿です。
怒った表情をしているのは怒りをもって、煩悩を抱えた人たちを力救済するため。 右手に持った俱利伽羅剣には、よこしまな心や、迷いを断ち切る意味があります。わたしたちを常に見守り、煩悩を断ち切るように導いてくれる慈悲深い仏さまです。

なんか、妙に納得…煩悩だらけだもの。
まだまだ修行中なんだな。
当時20歳くらいの私はそう思ったのだけれど、
それから20数年が経ったいま、
さらに、納得…相変わらず煩悩だらけだもの。
まだまだまだまだ修行は続きそうです。


𠮟咤激励されながら、この長く険しい人生という修業の旅を終えたとき、どんな自分になっているのか凄く楽しみです。

お釈迦さまのお誕生日に、しばらくお寺にお参りできていないなぁと思い出して今日の記事を書いてみました。

文章を書くことも修業のひとつなのだな、きっと。

最後にお釈迦さまの言葉で、毎年手帳に書いているものを2つご紹介して今週のnoteを終わりたいと思います。

「心がすべてである。あなたはあなたの考えたとおりになる」

「過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。」

肝に銘じて、また来週。


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