「今」の自分はどうしたいんだろうね
誠実性が向く先によって大きくブレがあった。
他者に対しては、優先度を高く
自分に対しては、優先度を低く
それが「良い人」「優しい人」だと思っていた。
他人軸で考えることが多くて、他人ありきの決定をたくさんしてきた。
他者への思いやりを持つことが大切だと思っている。人間は一人では生きられないし、自分が気づかないところでたくさん助けられて生きてる。支えあって生きてる。自分が助けてもらったならば、返さなければならない。それがこの世界のルールで、もしそれをしなければルール違反だと相手から嫌われてしまうかもしれない。
だから「もしも自分が相手ならどう思うか」と考えることが正しい判断基準だと信じて疑わなかった。
相手から嫌われないために他人軸の判断が正しいと思っていたのか?
嫌われたら居場所がなくなると思っていた。実際、なくなった。
今は1人で過ごす事も好きなのに、なぜしがみつく必要があったんだ?
ひとりぼっちはその人間自体に魅力がないんだと、子供のころに思ってしまったから。
選択肢がないからひとりぼっちになるのと、自ら選んでひとりぼっちになるのは大きな違いがあると思っていた。前者は価値のない人間だと思っていた。きっとそのせいだ。自分の好きじゃない相手からさえも、嫌われることを恐れていた。
他人軸で考える代わりに何かしらのお返しを期待していたのかもしれない。
自分は相手を大切するんだから、相手も自分を大切にするべきだ、と。
こうやって他力本願、つまり他者への期待値が勝手に上がり
誰かのせいにして言い訳ができてしまう循環が出来上がっていた。
①他者への思いやりをもつべき
↓
②他人軸で考える
↓
③お返しを期待する
↓
④返ってこない
↓
⑤そうなった「結果」に不満を言う
↓
⑥人間関係が上手くいかない
↓
⑦気付くとひとりぼっちになる
↓
⑧願わない状況(ひとりぼっち)に、自分の価値のなさで理由付けする
↓
①´嫌われないようにもっと相手に思いやりを持つ
(以下割愛、強度を挙げて②´に続く)
この輪を何周も何周もするうちに頭に思い浮かんだ言葉。
「もう、自分は自分ががどうしたいのか分からない。」
でも、そう思ってみても、未来は何も変わらない。
ドラえもんはいないし、魔法は使えないし、奇跡なんかおこらない。
他人軸で判断しない=他人に期待するのはやめる
これを意識していた時に読んでいた本に、ハッとさせられたことがある
原因論・目的論について。
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◆原因論
自分がどうしたいのか分からなくなった。(原因)
↓
選択を間違って後悔したくないから一歩も前に出れない。
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自分が選択肢を失ってひとりぼっちになったら、
自ら自分は価値のない人間だと自分に証明することになると思っていた
でも、どうやら最近読んだ本によると違うみたいで
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◆目的論
選択を間違って後悔したくないから一歩も前に出たくない。(目的)
↓
自分がどうしたいのか分からないと思っている。
(向き合うことから背いている。)
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「××だから(原因のせいで)△△できない」ではなくて
△△の失敗を受入不要な状況を作るという目的があるから
××という状況を仕立てている
緊張するから、声が出ないんじゃない
声を出すのが怖いから、緊張を作り出してる
自信がないから、相手に言いたいことを伝えられないんじゃない
自分の言葉を否定されたくないから、自信がないという理由付けをしている
人間は本当の「目的」に合わせて状況をコントロールしている
という解説に確かにそうだと思った。
結局人間は自分のためにしか本気で頑張れないんだ。
〇〇のためにといっても、
○○が喜んだら自分が嬉しいから
○○が悲しむと自分が悲しいから
○○の役に立つと自分が光栄だから
そんなの偽善だと思っていた。
本当に相手のことを思い、相手の為に行うことが善なんだと。
でもその「善」により「私」は相手に見返りを求める気持ちを持ち、拗らせてしまった。どっちが本当の偽善なんだ?
だからもう自分は、自分のために判断するように意識を変えるしかない。
自分のために本気で頑張れることが、結果的に誰かの役に立てば一石二鳥。
いい加減諦めるんだな。
いい子ぶりっこして、猫被って生きるのは。
かっこよく生きるなんて無理だ。
不器用には不器用なりの生き方があるはずだ。