シーツ屋の仲間(繊維関連の日本工場)がどんどん少なくなっています。
前回書いた「中小企業と円安」の影響もあると思います。
我々の業界の仲間が一つ減ってしまいました。
【染工場】です。文字通り、生地を染める工場です。柄をプリントしたり、無地染めをします。
今日、生地屋さんから連絡がありました。何の前触れも無かったそうです。
当社でも生地染色をお願いしておりました。次回加工する新たな染工場を見付けねばなりません…
こうなった原因はいくつかあるでしょう。
仕事量の激減=海外製品の氾濫
冒頭でも書いた、円安による経費増大。インクである顔料は輸入品が多いようです。
染工場は、ボイラーを焚いてお湯を大量に使います。燃料費も相当嵩んだでしょう。
大きな染工場は残っているところもありますが、以前の仕事量に比べれば激減しているそうです。人員削減や経費削減で何とかしのいでいます。5本あったラインを2本にして、1本は隔週で動かす…みたいな。でも今回の染工場は、ラインが1本で会社自体を維持できるほどの仕事量が無くなったのだと思います。
大阪のタオル協会の方と以前お話しする機会がありました。
大阪のその地域はタオルの産地で、昭和の時代には家庭の7~8割がタオル関連の仕事をしていたそうです。織機工場・問屋さん・染工場・糸屋さん・お母さんの内職 等々。今では全盛期の出荷量の5%しか無いそうです。
「もう5%だけでいいから戻ってほしい。でも10%戻ったら大変。忙しくて手に負えなくなる。その位工場キャパや人材は減っているんです」と。
当社の扱うシーツ・カバーも恐らく日本製の割合は、タオルと似たり寄ったりだと思います。カバーにも産地が実はあって、そのひとつが浜松・蒲郡です。昔は縫製工場がいっぱいあったのですが…
どのくらい残ってるのだろう…
「父ちゃん母ちゃん、パートのおばさんでやっていたけど… 年金があるからまあ何とか生活できる。お小遣いくらい稼げればいいやと、元気なうちは仕事を続けますが、跡継ぎなんて入れられないよ。」
という話を聞いたことがあります。
日本製の5%はまだ残っています。横浜の工場でしっかりとした日本製の商品を作っていこう。と思っている次第です…
斜陽産業となった繊維産業。零細企業が生き残る… 今の日本では難しいのでしょうか?
2回続けて寂しい話となってしまいました…