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ひとりごと#3|当時、二歳だった私。 2024/3/11

こんにちは、こんばんは。しいです。
3月11日ですね。あの時を過ごした方は、どうしてもこの日付になにか思ってしまうのではないでしょうか。
かくいう関東在住の私もそのうちの一人です。といっても私は当時たったの二歳でしたが。それでもいくつか覚えていることもあります。

せっかくなので、ここに記録のつもりで書いておこうと思います。
(※以下、東日本大震災の出来事などにふれています。苦手な方は、読まないことをおすすめします。)



その日は確かいつも通りの日で、父は会社、きょうだいが学校に行っていて、私と母は家にいました。
午後二時といえば、お昼ごはんを食べ終えリビングでまったりしている時間だと思います。

“その時間”、けたたましく警報がなり、大きな揺れがやってきたとき、私と母は机の下に潜りました。
正直なところ、この瞬間をはっきりと覚えているわけではないのです。

私が覚えているのは、
不安感を煽り危険を伝える警報の音、
揺れが落ち着いてから家の中の様子を確認しに行く母、
確認のために何処かの部屋へ母が行ってしまい不安と心細さで大泣きする私などです。
それぞれ瞬間的にしか覚えていませんが、十三年たった今でも当時の恐怖は簡単に思い起こされます。

あと覚えているのは被災したあとの記憶です。開け放され破片になったガラスが飛び散っている食器棚。いつもは使わない部屋で、ろうそくの明かりで寝た夜。



この出来事・経験は、学びを得るという点で貴重なものであったと同時に、強すぎる衝撃とストレス、不安と悲しみを与えるものだったと思います。わずか二歳だった私でさえわかります。
経験するべきものではないけれど、忘れないほうがいいことだし、未来の私には、忘れないでほしい。その記憶を。経験を。

どうか、この経験をしたすべての人へ、小さなしあわせがありますように。

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