味が好きなのか、温度が好きなのか
「美味しい」と思ったものが「その味が好き」に直結するとは限らないなと思う。
というのも、私は一年くらい前まで紅茶が大好きだった。暇さえあれば紅茶を飲んでいた。ティーポットやティーカップやソーサーを集めて、どこかに旅行に行く度に紅茶の茶葉を買っていたりした。
だが、ある日、悲劇が起こった。
紅茶を飲んだら猛烈に歯がしみた。水を飲むと激烈にしみた。とんでもなくしみた。
小学生のときからずっと通っていて歯列矯正もやってもらった、自分と同じ苗字で徒歩5分の距離にある便利な歯医者に駆け込んだ。
「知覚過敏ですね」と言われた。そこから始まる絶望の日々。
何を食べてもしみる。水を飲むとしみる。熱くてもしみる。常温の液体しか飲めない。何より大好きな紅茶を飲めなくて悲しかった。読書をしながら紅茶を飲むのが人生においての至福だったのに。
結局耐えきれなくなって歯の神経を抜いた。「すこん すこん」という自分の神経の一部分が失われていく音を感じながら歯の神経を抜いてもらった。
歯の神経を抜くのって3回くらい通わないといけなくて、本当に徒歩5分に歯医者があって良かったなと思った。
だが、1回目の治療で神経を抜いている途中に麻酔が切れて地獄をみた。
最初は「なんか痛いな、でも麻酔してるし痛いわけないな。気のせいだな」と我慢していた。でもやっぱり痛い。これは気のせいではない、と気づいて左手を上げた。
「麻酔が切れているかもしれない。なんか痛い気がする」みたいな、「私の勘違いだったらすみませんけどもしかするとなんかちょっとかなり痛いかもしれないんですが」みたいな超消極的なニュアンスで歯科医に伝えたら「あれ?そっか〜!ごめんね〜!痛かったよね!麻酔追加しますね」と言われてグサグサ麻酔を刺された。麻酔の方が痛かった。
「歯の神経を抜く」という衝撃的な(歯が痛いなら神経を抜いてしまえばいいや、と最初に考えついた人、本当に怖すぎる)治療行為に踏み切るまで、一ヶ月くらい悩んだ。
その一ヶ月間、紅茶を飲まなかった。
そして歯の神経を抜き終わって、一ヶ月ぶりくらいに紅茶を飲んだ。
あれ……?
紅茶って……味、しなくないか?
びっくりした。お湯を飲んでいるのと変わらない。
試しに紅茶とお湯を並べて飲み比べしてみた。若干紅茶の方が味がする気がしなくもないけど、紅茶が特段美味しいというわけではなかった。
今まで「紅茶が好き」と思っていたけど、どうやら「紅茶の温度が好き」だったようだ。
寝る前に紅茶を飲んでから布団に入るのが習慣だったが、試しにお湯にしてみた。
なんということでしょう……お湯でもいいじゃないですか……。
衝撃の事実。自分が今まで飲んでいた紅茶への思いが飛散した。私は紅茶の味が好きなのではなく、熱い飲み物が好きなだけだった。
ごめん……紅茶。お前のこと、好きだと思っていたけどただの勘違いだったみたいだ。別れよう……。
そんな別れを経て、お湯にシフトチェンジした。
お湯、美味い。お湯、最高。
歯の着色もないし、コップに茶渋もつかない。なんて最高なんだ、お湯。紅茶とは大違いだ。ポットから注いでそのまま飲める。茶葉も買わなくていい。お湯、お前は素晴らしい存在だ。本当に最高だ。
そんなことがあって、私は明日も職場のウォーターサーバーからお湯を注いでブレンディスティックの紅茶オレやココアオレの物言いたげな視線を横目に、素の状態のお湯だけを席に持ち帰り、そのまま飲んで、ふぅ……と息をつくのだろう。