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もう死んでもいいよ、といえる愛

死ぬのがこわい。祖母は1回だけ、祖父にだけ言ったことがある。
祖母の弱音と本音を聞いたのはその1回だけだった。

祖母が他界してもう何年になるのか。

祖母はステージ4の末期癌で、モルヒネを投与して、痛みを和らげる。つまり、あとは死ぬのを待つだけ。そんな状態だった。
みんなで毎日お見舞いに行った。いつ死んでしまっても後悔がないように、学校を休み、会社を休み、あらゆる予定をキャンセルして延期して、毎日お見舞いに行った。

祖母はみんなには「大丈夫」と笑っていた。
でも、モルヒネを追加投与されて、夢現の中、いよいよ死を待つのみ、となったとき、珍しく祖父がお見舞いに来た。祖父が来たタイミングでちょうど目を覚ました祖母は、夢現の世界から現実世界に一瞬で戻ってきて、祖父の腕をしっかりと掴み、祖父の目を見て

「おとうさん。わたし、死ぬのがこわい」

とハッキリとした口調で言った。
祖母が「死ぬのがこわい」と言った相手は、10何年間病院に付き添い看病をしていた私の母(祖母から見たら自分の娘)でもなく、モルヒネの影響で錯乱し暴れまくる腕や脚を一晩中押さえつけた私や兄でもなく、一緒に暮らしていた従兄弟の家族でもなく、祖父だった。

「おとうさん。わたし、死ぬのがこわい」と言った祖母に、祖父は「そうか。もういいよ」と返した。

この言葉がどうしても頭から離れない。
その一言だけで祖母には全部伝わったようで、祖母はそのあとスッとひと筋の涙を流してまた夢の中へ戻って行った。

あれは紛れもない愛の形だった。そこには大勢の親戚や家族がいたけれど、祖父と祖母の目には、確実にお互い2人の姿しか存在していなかった。

自分の愛した人が死ぬ。自分の妻が死ぬ。自分の大切な人が死ぬ。
そんなとき「もういいよ」と返す選択肢が私にとれるだろうか。そんなこと言わないでほしい、死なないでほしい、もっと生きていてほしい。そう言わずにいられるだろうか。

「もういいよ」とは、「もう死んでもいいんだよ」ということだろう。祖父と祖母の馴れ初めはほとんど聞いたことがない。あいつには苦労ばかりかけた人生だった、と酒に酔った祖父から一度聞いたきり。そして、葬式の際に棺に納まった物凄く綺麗な祖母の亡骸を見て「綺麗だろ」と言ったのを聞いたきり。

祖父と祖母には他の誰も知らない過去があって、いつもはお互いにそっけない態度をとり、召使いのように使われているように見えていた。でも、たしかにそこには愛があったんだ。そう思った出来事だった。