人はどんどん欲張りになると気づいた話
今日は、わたしの日々を潤してくれている山P様を通して、人間がどれだけ欲張りな人間かということに気づいた話をする。
ご存じの方も多いかと思うが、山P様はジャニーズで1番最初にInstagramを開設した。
約1年前、この事実を知ったときはただ「時代に感謝」という感情であった。
テレビや雑誌の中から眺めるだけであった存在が、日々の写真や動画を全世界に自ら公開してくれるなんて、私が小さい頃は考えたこともなかった。
そしてついに今年の3月に山P様はインスタライブを初めて行う。
これを知った時もただひたすらに「時代に感謝」。
あの、誰もが認めるカリスマ山下智久様が、私たちファンのコメントを読みながら同じ時間を過ごす。
こんなことが起きるなんて、狂ったように山Pのアルバムを聴いていた中学生の私は想像もできなかった。
それからというもの、自粛期間ということもあってか1~2種間に1回のペースでこれまで4回インスタライブを行なっていた。
「明日インスタライブやります」
というストーリーで何人の国民が生きる希望をもらっただろうか。
もちろん私もその1人だ。
インスタライブがある日はいつもより少し頑張っちゃおうかななんて思ってしまう。
しかし、
前回のインスタライブからもう2週間がたとうとしている。
「そろそろインスタライブやってくれないかな」なんて考え始めていた私だったのだが、
ふと立ち止まって考えてみて、自分のおこがましさにぞっとした。
そもそもジャニーズでインスタアカウントを個人で持っているのは山P様だけで、
普段の生活をチラ見できるだけでもありえないほど贅沢である。
それに加えてインスタライブを自主的に4回も行ってくれているというのにもかかわらず、
私は
「そろそろ山Pインスタライブやってくれないかな〜」
というなんとも身勝手でおこがましいことを考え始めていた。
いかに人間は欲深い生き物か、身をもって痛感した。
第1回目は
「山P様がインスタライブに時間を割いてくれるなんてありがとうございます🙇🏻♀️🙇🏻♀️🙇🏻♀️🙇🏻♀️」
という気持ちだったのに。
今やどうだ。
こちからそれを願うだなんて。
なんておこがましいんだわたしは。
最初は新鮮に思えて感謝できたことも、それが日常の一環になったり、当たり前になったりすることで、人間は醜くなっていくのだと感じた。
同じようなことを約1ヶ月前にも感じたことがある。
コロナが本格的に日本で猛威をふるい始めたころ、
TwitterでZOZOTOWNの元社長前澤さんに
「なぜ今現金配らないんですか?」
というリプライを送っている人を見て大きな違和感を覚えた。
前澤さんが数回現金を配る企画をしたからといって、彼は金配り機ではない。
おそらくそのリプライを送った人も、第1回目の100万円企画の話を聞いたときには純粋に驚き、感動したはずである。
しかしそれが当たり前に近づくことで、人間はありがたみを忘れてしまうのだ。
今日常に溢れている物事も、おそらく昔は画期的な発明であったり、誰かの血の滲むような努力の末のことだったりしたはずだ。
私はこのインスタライブの件で、日々の当たり前の裏側に想いを馳せることができた。
この事実を少しでも心に置いておくことで、人や世界に優しくなれるのではないだろうか。
自分の欲深さにぞっとした私は、もっと謙虚に、日々に感謝して生きようと決心した。
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