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いま、分岐点を通った

今の今。分岐点だったかもしれないから書き残す。忘れないうちに。

今の今、「まぁるい抱っこ」の辻先生のインスタライブを初めて観た。そこでたくさんコメントを取り上げてもらい、辻先生のレスポンスが聞けた。

先に話が逸れるが、母を早くに亡くし、父は私の人生を危険に晒す人物となった後、私は糸の切れた凧になった。

そこで不安との戦いが始まり、行き着いた私の武器は、撤退した現状分析と、先見の明をもつマニュアルを見つけること。要は自分に合うHOW TOを探すこと。これは、仕事や人生にある程度生かせたと思う。

でも今出会った分岐点は、「自分に合うHOW TOは、子供や夫に合う訳でもない」ということ。とても当たり前の事なのに、私は自分の信じたものにこだわり、相手の信じる別の事を叩きのめしてしまう、という現実を直視することになった。

今改めて、産前に書いた手紙を渡さなくてよかったと心の底から思っている。「お前が決めたようになるから、先に決めて」と言って、決断する責任から逃げる夫、という点。

でも今、バッサリと「ちゃうやん、それ、こいつ面倒いなと夫が諦めたんやん。男の人は賢いから、もう折れとこうって判断したんやん」とコメントしてもらった。

ええ、そうですよ。

「それでも女の人は食い下がるやろ?しかも謝ってんのに、まだ許さへんとかするし」

はい、その通り。追求の手を緩めません。

「女は分かってくれへんとか察してとか思うけど、じゃあ男の不満を満たせてんのかと。ギリギリ満たすじゃなくて、なみなみ満たせてんの?絶対してないよね」

はい、ギブandギブです。満たす気はさらさらなかった。だって私の分析は緻密だし間違ってないもの。


私から見たら、自分の分析は間違ってないと思うし正論だと思っている。でも、私から見れば、の話であって、夫から見ればまた違って然りなのに、認められなかった自分がいる。だから夫は「馬鹿にするな」とか「先決めて」と言うしかない。

はー、それなのに、あの大騒ぎした陣痛に黙って付き添ってくれたな…。本当に、産前だからと言って、大袈裟なこと言って陣痛の時に逃げられなくてよかった。


そして、別の方の話の流れで「赤ちゃん寝ませんってみんな悩むけど、そんなに寝かせたいんか?満足したら寝るけど?」と言うコメントもあった。

豊富な経験と確かな技術を持った人だからこそ言える言葉だとは思う。眠れないのは死活問題だから。でも、ジーナ式HOW TOで寝る子に育てるプロジェクトを進めようと思ってた私に「泣き声ひとつで、要求を理解する」という「赤ちゃん、なんて言うてんの?」と傾聴する気持ちの無さをズバリ突かれた気がした。

たしかにジーナ式は習慣として良いと思う。朝起きて夜寝る、が人間社会の基本だから。そこへシフトしていけるということは、人生の武器になる。でも、あくまでそれは環境を整えることであって、赤ちゃんが1人の人間として「いまなんて言いたいん?どうしたいん?」と聞いてみることをしなくていいとはジーナさんも言ってない。むしろ、環境が整えば、人間語をまだ操れない赤ちゃんでも、要求が何か絞り込み易くなる、と言っていたはず。

人生に、自分に、育児に、人を信じることに不安な私は、HOW TOを先んじて、1番会いたかった我が子の言い分をすっ飛ばすところだったかもしれない。「環境を整えてあげているのに、寝ない」「こんなに工夫してあげてるのに、従わない」「色々考えてあげてるのに、子供のためなのに、夫は分かってくれない」と確実に八つ当たりとして言っていただろう。いや、それでも言うのかもしれないが。

自分目線の正論と、相手目線の正論のすり合わせがしたい。夫は父親を知らずに育ったから、子供が生まれて「これから勉強します」と言った。じゃあ、私の要求を飲み、今後はメリットのみをもたらす夫になれと応援(という名の脅迫)するの?それで夫は満足なの?いや、結局は「お前が決めて」と言わせてしまう関係になるか「もうええわ」になるかだろう。夫にも「あなたはどうしたいん?」と聞けるし任せられる関係を作り直したいし、赤ちゃんが泣く=「何て言うてんの?」というスタンスにもっと軸足を置きたいと思った。

当たり前過ぎることが、本当に見えてなかった私は、マニュアルを信じて目の前の人たちを信じなくなるところだった。

「自分がしたことが、返ってくる」

だったら、私の行先は、目の前の人たちに信じてもらえない独りぼっちが待っている。それはちょっと嫌だ。大事な人に置いていかれる孤独は、母の時に死ぬほど味わったから、もういい。自分で居場所を破壊するクラッシャーになってはいけない。

「猫と赤ちゃんとの対面もそうよ。猫にも尊敬を示さないと、やきもち焼いて気を引くために悪さするようになる」

猫との初対面もスマホで動画撮って楽しむくらいの気持ちだった。「どの道、猫より赤ちゃんファーストになっちゃうし」と。

でも、私にとって猫は人生に欠かせない存在だ。今の2代目は、18年生きた先代の「代わり」ではなく、ちゃんと私の家族になってくれた猫だ。やきもちは焼くかもしれない。でも、「私の赤ちゃんよ、見て見て!」じゃなくて、ちゃんと紹介しようと思う。


最後に、なぜ分岐点と思ったかというところ。

実は、インスタライブに遭遇する直前の授乳で、「まぁるい抱っこ」を実践して授乳をしてみようとしたけど、私の大騒ぎの陣痛を見守ってくれた助産師さんに「体は45度。丸めすぎて、今哺乳瓶を無理に入れようとなってたよ」と見本を見せてもらったところだった。吸う力が強い我が子のお陰ですでに乳首が痛い私は、うまくできてなくて少しがっかりしていたところの、「まぁるい抱っこの辻先生登場」だった。でも、抱っこの上手い下手とかじゃなくて(本当はそのスキルなのは百も承知だけど)もっと大切なところを見なさいよ、と。これはもう、『ここが分岐点よ』という事だと思った。

やるなら本当の目指すべきところは、相手を信じて聴くことと、それを助ける確かな技術の二本柱。あぁ、理想が高過ぎる。でも、ちょっとやってみたい。そう、やってみたい。

さっき、乳首が痛いのに、助産師さんから「多分3時間持たない内に泣くから、夜中の授乳はナースステーションで見るから、朝6時から来れる?」と言われて、今のうちに寝て休みたいのにハイと言ってしまった自分。そんな自分に少し落ち込んだ。本心は、たった1日で乳首が痛くなった私は今後の授乳トラブルが怖すぎてブルーではある。でも、「お腹空いた」と泣く我が子に、「こんな感じですか?どうですか?」と試しながら、心地良くお腹を満たせる技術を身に付けたい。

これを書き留めたら、しっかり寝てまた朝から頑張ろうと思う。



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