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まだ知らない。
僕はまだ知らない。
彼らが何をしていたのかを。
中学2年生への進級を機に、鹿児島から埼玉に引っ越すことになった。
小学3年生の頃にも引っ越しは経験していたけど、その時とは訳が違った。
僕には5年ぐらい一緒に野球をしていた仲間がいたし、一緒に馬鹿になれる友達がいたし、厄介な先輩がいたし、何度も登った坂道があったし、それを登った先には小学校と中学校があったし、部屋にはロフトがあった。それから時には、火山灰も降った。
あと、僕は少しずつ感情を言い表すいくつかの言葉を覚え始めていた。
その人間関係が、その街が、その風土が、僕のすべてだった。
子どもの世界は狭い。
自分の意思でどこまででも行ける大人になった今とは違う。
でも、当人にとってはそれがすべてだから、子どもだって、そこから飛び出すことは怖いし、寂しい。
僕はいくらか泣いて、一番の友人に転校を伝えて、それからも何度か坂道を登り下りした。
本当に大人になって世界が広くなったかはわからないけどね。行けるからって行くわけじゃないからさ。
まあでもその時からは埼玉が増えてるな。
ともあれ、転校をした。
そういえば、野球があるからいいじゃない、とか無責任なこと言われたな、母に。
言い方はきっと、もっとまろやかだったと思うよ。
甲子園で会おうぜとか、信じてるのか信じてないのかわからないことを言い合ったあいつらと、野球がしたかったんだぜ、俺ってば。
高校で軽音部に入ったのは、甲子園であいつらに会えるなんて信じてなかったからでもあり、音楽が好きだったからでもあり、モテたかったからでもあり、兄弟がバンドをやってたからでもあり、坊主が嫌だったからでもあり、努力しない自分に辟易としていたからでもあり、プロ野球選手にはなれないと悟ったからでもあり、あいつらと野球がしたかったからでもあるんだぜ、俺ってば。
話が逸れました。
転校初日の朝、無難に自己紹介をして、無難に笑いをとった。たぶん、これまでの人生を振り返っても、最高のスタートだったのではないだろうか。
プレイボールホームランとまではいかないまでも、プレイボールしてからの初球をセンター前に弾き返したぐらいの快感はあった。1番バッターを務めたことはないけど。
廊下で、友達になってください!と同じクラスの女子に言われた。
周りの男子にやめといた方がいいと耳打ちされたけど、そういえばその理由は、その子と親しくなってもわからなかったな。とても優しい、良い子だった。
いいですよ、と言った。
野球部に入った。何人か友達もできた。
それでも、何回目かの席替えで彼女と隣の席になってからは、一番の友達だったと思う。
すぐ順番つけんじゃん俺。
先生は、学校が変わろうとも先生だった。
野球部の顧問の先生は、何度も暴力沙汰を起こしていたという鹿児島の時のなんたら先生よりは、嫌じゃなかった。
野球部の先輩は、学校が変わろうとも野球部の先輩だった。
顔デカくね?と言われて、あ俺って顔デカいんだって思った。
それは、数学の授業中だった。
後ろの席でゴソゴソ何かをしている音が聞こえた。
椅子の背もたれに何かをされていることはわかったけど、振り返ってなになに?と言う朗らかさはなかったから、板書をとっていた。
紙が落ちる音がした。
はらりだったろうか、ぺらりだったろうか、僕はその時初めて、紙が音を出すことを認識したような気がする。ちょっと嘘ついたかも。
僕の机と隣の机の間の通路に、紙が落ちた。
その日、隣の席の一番の友達は休みだった。
横目で見ると、紙には丸く囲まれた「呪」という字が書かれていた。
「呪」には、なんで「兄」が含まれているんだろうか。
僕の兄はとても格好良いのに。
僕は気づいていないふりをして、まだ板書をとっていた。
後ろの誰かが立ち上がって紙を回収すると、先生が、「そこ、さっきから何やってるんだ」と言った。
気づいてたのか、という気持ちもそこそこに、何か言わなきゃ、と思った。
振り返って、「何かやってるの気づいてたけど気づかないふりしてたわ」と笑った。
上手に笑えてたらいいな、とか思いながら。
不思議と、静かだった。
頭はぐるぐると働いていたけれど、心は静かだった。
のちに、静かな闘志なんていらねえ!と野球部の顧問に言われたけど、この時のがそうで、その時は闘志がなかっただけです先生。頼むよ。
彼らは気づいていたのかな、僕がその文字を見たことに。
その後もフツウに接してきたから、気づいてなかったんだろうな。
というかきっと、どちらなのかは僕が決めていい。
数学の先生は、生徒を下の名前で呼ぶタイプの先生で、僕もそうやって呼ばれていた。生徒にも人気があったんじゃないかな、他の先生に比べれば。
僕は、なんで下の名前で呼ぶんだろうって思っていた。
後ろの席にいたのは、運動部のキャプテンだった。人望も厚かったんじゃないかな、僕も良いやつそう、ちょっと眩しいけどって思っていた。
隣の席の友達がいたら、彼らはそんなことをしただろうか。
彼女がいつも、彼らから僕を守ってくれてたのかもしれないというのは、後になって思った。
僕の知っている彼女はそういう人だったと思う。
その女の子は中学3年生への進級を機に転校して、僕は休み時間に本を読むようになった。
本を読んでいると、僕に興味があるわけではないハンパに面倒くさい奴は話しかけてこない。
僕は文学少年なんかでは全然なく、ただそういう人を避けるために本を開いていた。
少し大人になって、3年生の時に仲が良かった友人に呪いの紙のことを話すと、そんなの大したことなくない?と言われた。
むかついたけど、彼は、その時以来僕が嫌いになったその運動部に属していたから、そうだよな、とも思った。偏見なのか経験則なのかの判断は、いつも難しい。
まったく笑えないジョークだったのかもなとも、時々思う。
僕がこの出来事から学んだことは、その運動部のやつは信用ならん、でもなければ、生徒を下の名前で呼ぶタイプの先生は信用ならん、でもない。
友達は大切にするべき、でもなければ、人を呪ってはいけない、でもない。
もちろん死にたいほどつらいことがあっても大丈夫、でもなければ、生きていればなんとかなる、でもない。
あー、あんなに人望があるやつでも、こんなことするんだ、だ。
だ、だ。
それまで、人からどう見られているかを、いつも気にしていた。
今でも気にしてしまうことはあるけど、他人からの評価なんてその人を正しく表してはいなくて、僕は誰かを正しく認識できてもいない。
僕には嫌なところがあるけど、そんぐらいあってもいいのかもしれない。
たぶんそんなことをされる原因が僕にもあったのだろうけど、そんぐらいあってもいい。
そうやって、張り詰めていた気持ちが少しだけ楽になってしまったので感謝してすらいる。いや、それは嘘か。いつか気づいていたよ、君らなしでも。まあでも、少しだけ早まったのは、ありがとうね。ははは。
だから僕は決めた。
彼らはまだ知らない。
僕がその文字を見たことを。
だから僕はまだ知らない。
彼らが何をしていたのかを。