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アバウト2700

 遊覧船の上。
 そう、それは遊覧船の上でたそがれるような、やわらかなひととき。

 側から見れば穏やかで、ともすれば羨まれるような、ひととき。

 いつから、人と人とはこんなにも隔たれてしまったのだろうか。たぶん、気づいていなかっただけなんだろうな。



 諸々が小波となって押し寄せてきていたが、僕はそれをつま先から足首の上あたりまでで受け止め、なんてことない、と気にしていなかった。

 小波が足先を撫でる、ただそれだけでも、それが長時間に渡れば、足先は冷えてくる。そして、その冷えは細胞をつたって頭頂部にまで浸透する。コートを着てみたり、マフラーを巻いたりしてみても、だ。

 広島東洋カープがリーグ三連覇を達成したときの功労者、中崎翔太、中田廉、一岡竜司がここのところパッとしないのも、これに近いものがある。

 ...いや、ちと違うか。アドゥワ...



 ともあれ、小波は止まることなく、今も押し寄せてきており、僕の体は着実に熱を失ってきている。

 怒りを覚えようとも、小波の発信源はわからず、どこへぶつけていいかわからない。

 そもそも、ぶつけたところで、この冷えという問題は解決しない。怒りをぶつけるとは、そういうことなんだろう。問題解決の手段ではない。

 思うようにいかないことに出くわし、すぐに怒る大人をみると、かなしい気持ちになる。

 その周りにいて苦労した人たちに花束を贈るよ。
 花言葉なんてググらないでね。
 花の美しさは花言葉では語れないからね。

 もちろん好きにしてくれていいけど。



 話を戻します。
 小波に次第に奪われていく体温。

 僕がするべきなのは、どこへぶつけていいかわからない怒りにわななくことではなく、体を温めることだ。

 日常の小波が、人をこんなにも冷たい空間へ連れていく。
 朗らかに生きていくためには、まずはそれに気づかなくてはいけないし、気づいたら、冷えた体を温めなくてはいけない。

 その手段は多くの人にとって、楽しく朗らかな、それでいて穏やかな、時には荒んだ、たぶんダンスみたいなものだ。

 ダンスみたいなそれは、大体2700gぐらいかそれ以上以下かで生まれたその時から、どんなものかが定められているわけではない。
 生きていく中で、それぞれが見つけていくものだ。その時々で変わりもする。一度見つけたダンスを踊り続けていればいいわけでもない。


 自分を保つことは、とても難しいね。

 押し寄せる日常の小波の風化作用に己の輪郭をぼやかされて、それでも日常の中に身を置くなんて、たぶんバカなんだ。

 生きるのに必要なことの一つに、バカであること、は含まれると思う。バカになれること、でもいいかもしれない。
 そもそも、人は全てのことを理解し咀嚼できるほど、賢くできていないと思う。
 と、バカが言ってますけれどもね。

 それでも日常の中に身を置くけど、夢があるわけじゃない。でもたぶんやめないだろうな。

 僕は波に乗せられてやってくるであろう、小瓶の手紙を待っていたいし、ビニールを飲み込んで打ち上げられるであろう、息を引き取ったクジラに手を合わせたい。

 人にできることは限られているし、それほど多くはないけれど、何をするか、選ぶことはできるね。

 そうした、望みをかなえるためには、自分を保つダンスを知る必要がある。

 たぶんこの体の冷えは筋肉痛みたいなもので、日常の風化作用に自分の輪郭が破壊されたときに起こるんだ。それから再構築されるんだ。筋肉痛みたいに、より強固なものになるとも限らないだろうけど。

 まあ仕方がないっちゅうわけだ。そりゃあその冷えにやられてしまうこともあるだろうさ。それがダメってわけじゃない。ただ自分なりの対処法は知っていた方が、付き合いやすいよね。

 でも、ダンスの振り付けは、誰も教えてくれないし、探してくれない。
 人はうんざりするぐらい孤独だけど、一人ぽっちにはなかなかなれない。

 席替えで隣になった同級生が、教科書をめくるその仕草が、ヒントになるかもしれない。

 近所の子どもが、補助輪つきの自転車を漕ぐその仕草が、ヒントになるかもしれない。

 とか、前向きに考えるほかない。

 やはり、全てに目を配れるほど、人はよくできていないから、たまたま目に止まった何かについて、考えるのがいいだろう。

 なんだかえらそうに言っているけれど、僕自身、自分のダンスの振り付けを確定できてはいない。ぼんやりと、どんなダンスを踊ればいいのか、それさえも、ちょっと、わからない。わからないけど、体を動かしてみるしかない。
 寒さに襲われたそのとき、ちょうどよく目の前にシチューがある、なんてことは滅多にない。だから、やっぱり自分の体を動かしてみるしかない。

 手足を曲げたり伸ばしたり、上げたり下げたり。

 それは到底ダンスとは呼べないものかもしれないけど、体を動かせばもうそれはダンスなんだと信じている。
 場合によっては、動くことは必ずしも最善ではないだろうから、動かないこと、それもきっとダンスなんだとか言っておく。僕はマイケルジャクソンではないけれど。

 いやはや。



 小波が足と砂をなでる。


 日中、走り回った人々の足跡は、少しずつなだらかになっていく。

 西日が砂浜に立つ人をシルエットにして、海面はキラキラひかる。


 その中でシルエットが揺れるのは、綺麗な景色だろうな。涙が出ちゃうだろうな。


 答えや光は見えないけれど、蜘蛛の糸をたどってみる。


 何か華やかな美しい音楽の快速調の流れ。



 自暴自棄よりも早く。


 僕は陽気者。
 だから、このダンスをする。






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