それでもあなたが好きでした。
お店で店員さんに声をかけられるのが苦手だ。
前よりは少しだけ大丈夫になったけど、それでも、あーちょっと今、人と話したくないねんけどなあ、ということはある。
どちらかが悪いとかは別に思っていない。
高校2年生から大学1年生まで、通い詰めていた洋服屋さんがあった。
「おしゃれ」というものに「目覚めた」のが高校2年生ぐらい。そのきっかけは友達と、その友達に勧められた「さらば青春の光」という映画だ。あるいはピートドハーティ。
そんなこんなで英国っぽい服装に憧れを抱いた。
遠出をするバイタリティも知識もなかった僕は、最寄り駅の商業施設に入り、その中でも入りやすいと思った洋服屋さんに入った。それが後に通い詰めることになるアメカジ系チェーン店だった。アメカジやん、とかは言わないでほしい。
高校生基準でちょっと高いけど手にとれないほどではない、それでいてあんまり人とはかぶらなそうなところが気に入ったんだと思う。
高校生の僕にとっては(高校生の僕にとってはね!!!)、ちょっと良いものであることと、人と違うことが服選びにおいて大事なことだった。
ともあれ、大学2年生になる頃に引っ越しをしてそのお店とは疎遠になり、逆に身近になったユニクロで「え、ファッションって色とか組み合わせんのが楽しいんじゃねえの?バカじゃねえの?」とか思うまでは、よく通っていた。
高校生の僕はただ、格好良くなりたかったんだと思う。
格好良くなりたいネックのTシャツに、格好良くなりたい丈のズボン、格好良くなりたいトゥの靴を身につけ、ある店員さんと出会った。
20代半ばぐらいだったろうか。ロン毛にヒゲだったから「おしゃれなお兄さんだ」と思った。あとレイヤードとかしてたし。
「高校生にしては服装ちゃんとしてるね」とか言われたり、「この靴はソール交換とかして長いこと履いてるんだよね」とか言われたり、曖昧に覚えてくれた名前で呼ばれたりしているうちに、服を買いにというよりは、店員さんに会いに行くようになっていた。
モッズコートやロングコートといった英国っぽいものから、チェックのネルシャツやジーパンといったアメカジっぽいものまで、経線を飛び越えて買った服たちで、僕は幾分おしゃれになった気でいた。
いや、おしゃれは自己満足なので、僕はおしゃれだった。
ある日、大学生になった頃だろうか、連絡先教えてよ、と言われた。
今度ご飯行こうよとか言われながら。
いいですよ、と言って教えた。
連絡が来たのは、ずいぶん先のことだった。
大人のみんなはオチがもうわかってしまったかな。
僕は子どもだったから、オチなんてないと思っていた。知らない世界に飛び込むことはきっと素晴らしいことだけど、いつでもその勇気に見合うわけではないことを、知らなかった。だから素晴らしいんだろ?って誰かが言って、そうだねって僕は微笑む。こうやって微笑むことができるのは、このことがあったからなんだとは信じている。
恋人ができて、引っ越しをして、大変だけどやりがいのあるバイトを始めて、友人とぐっと仲良くなった頃、僕は大学2年生になっていた。
試験を受けたりすっぽかしたりしながら過ごしていると、店員さんから連絡が来た。
今でもたぶん残っているけど、見返すと平気で傷つくのが目に見えているから、覚えている限りで要点を伝えます。
平素よりなんたら、セールの開催、ご来店をお待ち申し上げております。
僕が大学で学んだことの一つに、コピー&ペーストがある。適当なレポートは適当にコピペしとけ、それが上手な大学生のやり方だった。そうやって器用にやるには面倒臭すぎる性格なので、嘲ることで自分を保っていた。
あー、大人になってもコピペって使うんやなあ。
と、感心したのは少し先のことで、その文面を見た時、体の中で感情がフラッシュモブを始めた。
形成されたのは、恥ずかしい、という感情だった。
お店に行くことが苦手だった僕が初めて手にしたと思っていた成功体験はまやかしで、僕は特別なんかじゃなくて、何者にもなっていなくて、数多いるありふれた客の1人に過ぎなかった。
恥ずかしい。
次第に怒りが立ち込めてきた。
自分に対しての怒りだ。
なんでいつも、自分を特別だと思うのだろうか。
目が二重だからだろうか。背がちょっと高いからだろうか。名前が珍しいからだろうか。家がそこそこ裕福だからだろうか。親が別居してるからだろうか。幼稚園の頃リレーでアンカーだったからだろうか。2回転校してるからだろうか。親に愛されてきたからだろうか。大きな事故に遭っても無傷だったからだろうか。
お久しぶりです。行きます。
と返した。
実際に行くと、笑顔で「〇〇には本当に会いたかったんだよ」と言われた。
笑顔ひきつってますよ、とも、LINEで名前見たはずなのにやっぱりちょっとぼやかして名前言うんですね、とも、いや「には」って他の人に失礼じゃないですか、とも言えなくて、僕は微笑んだ。
他の人かあ。
笑顔ひきつってるじゃん、とは言われなかった。
代わりに、「なんか雰囲気変わったね」と言われた。「そうっすかねえ」とか言ったと思う。
それからふらーっと店内を見回して、適当にTシャツを買って店を出た。
そのTシャツを「かわいいね」と褒めてくれた恋人と別れることになった頃、僕は大学4年生になろうとしていた。
ユニクロは、自分から話しかけなきゃ店員さんに話しかけられることがないからいいと、ユニクロを愛するようになった。
それでもなんやかんやでますます服が好きになっていた僕は、下北沢や高円寺で古着を物知り顔で漁ることも増えた。古着屋で自分よりずっと服が好きで詳しい店員さんにそれいいっすよねーと話しかけられているうちに気づいた。
あ、何段階か飛ばされてるんだ、会話が。
こんにちは、とかほしい。
本当にそうですよね。やんなっちゃいます。
はい、ここ好きで。
ありがとうございます。
(ちょっと見て回り、足を止める)
いや、面倒くさいか。あと俺あいさつ返してねえな、ほしがっといて。
会話を飛ばさず挨拶してくれたの、あの店員さんだけだったかもな。
最初に声かけられた時どうだったかは覚えてないけど。
それでも顔を覚えてくれて、おお〇〇来てくれたんだねって、輪郭のぼやけた名前で話しかけてくれるのが、心地よかった。
今ではわかる。
当時の僕が傷ついた事実は消えることはないけれど、きっともう行かないだろうけど、そもそももうそこにそのお店はないようだけど、店員さんは店員さんで生きていただけだ。
きっとどちらも悪くなくて、いや僕が悪くて、いや信じてしまっただけで、というかそんなことはどうでもよくて、あなたのことが好きでした。
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