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映画 花腐し を観た
今日も映画を観ました。「花腐し」はなくたし、と読みます。う~ん。福田村事件もよかったけど、花腐しもめちゃよかったな。今年観た映画で一番よいかも・・・。
さて、今回も花腐しのネタバレ及び感想をお伝えします。観てみたいとかネタバレきちい!という人以外、お付き合いください。帰り道は、間違いなく山口百恵さんのさよならの向う側を聴いて帰りました。
あらすじ
廃れつつあるピンク映画業界で生きる監督の栩谷は、もう5年も映画を撮れずにいた。梅雨のある日、栩谷は大家からアパート住人に対する立ち退き交渉を頼まれる。その男・伊関はかつて脚本家を目指していた。栩谷と伊関は会話を重ねるうちに、自分たちが過去に本気で愛した女が同じ女優・祥子であることに気づく。3人がしがみついてきた映画への夢が崩れはじめる中、それぞれの人生が交錯していく。
映画.comより
クタニとイセキさん。女優はショウコ。クタニは綾野剛、イセキは柄本佑、ショウコはさとうほなみが演じました。観てみた、ひとつめの感想、
めっっっっっっっっっっちゃ、えっちや…!
すごい。みなさん体をはっていらっしゃる・・・!すごかった。これまじでやってるんじゃないのと思うほどである。すごい。びっくりした。すごかった。そのセクシー場面で言いますと、MINAMOさんという方がキャストでいます。AV女優さんなんですが、
めっっっっっっっっっっちゃ、えっちや…!
同性の私が見ても、めっちゃえっちや・・・!ってなりました。この人は京都出身らしい。ぜひみなさん気になった方、動画も調べてみてください。(笑)あのねえ、おっぱいの形が最高にきれいでした・・・えろかったです。
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映画自体がシロクロで進んでいく。過去の、ショウコが存在するときだけ、色がつく。そこがまた生きているという実感をもたらしている。ショウコがいたからカラフルな毎日だったのかもしれない。
そのショウコとイセキがまず付き合っていて、別れて、そのあとにクタニがショウコと付き合い始める。同棲している感じだったけど、どちらも男がダメ男で転がり込んでるところがいい。二人とも出会うタイミングやそのときの心境、立場、置かれている環境でひとりの命や、ふたりの命が変化する。
ショウコ20歳、イセキ24歳で、ショウコが妊娠したときにイセキは産んでほしいという。でもショウコは女優の夢を諦めきれず堕ろすという。イセキは自分の夢よりも子供を養って父になりたかった、なんとかなると思ったから。映画監督の夢を諦めかけていて、父になることで踏ん切りがつけられるとも思ったのかもしれない。しかしショウコは堕胎して、その後なにもせず家でただ過ごすイセキに腹を立てる。そのときイセキは、なんで堕ろしたんだよ!とショウコに叫んだ。ひでえやつだ。
一方、ショウコが32歳になったころ、クタニとの子供ができた。3か月だった。ショウコは産みたいという。年齢的にも、今だ、と。ショウコは女性として生きるから、夢である女優もやめるという。クタニは家族を作りたくないと言った。わたしとでも?と聞くショウコに、クタニはとにかく嫌なんだみたいなことを言っていた。最低だ。そんなこと言うなら避妊しろ!
「夢」というものに翻弄される人間。男であるとか女であるとか。いろんなことを多く考えてしまう世の中になってしまった。理由を考えることのほうが簡単かもしれない。やろうと思えばやれた、でもやらなかった。やるかやらないかの選択の時に、何かをやった人のほうが、情熱が。とか、かける思いが。とか言われるとは思うけど、そんなことでもはかれないことはあるように思う。
ショウコはクタニの親友である、同じくピンク映画の監督のクワヤマと、海に飛び込んで死んでしまう。二人は手を結んで、死んだ。このシーンから始まるこの作品。おお・・・と思った。雪の降る街だった。先日、シネウインドさんで監督の舞台挨拶があったそうで、ショウコは新潟の寺泊出身の設定だったとか。雪も降っていて、あの海なら日本海だよな~と思っていたけど、山形とかかな?と思っていただけに新潟でしたか!と少しうれしくなりました。雪が降らなくて焦ったという裏話も。ありがとうございました。
さて、話は戻りますが、なぜショウコは死ななくてはいけなかったのか。おそらくショウコはクワヤマと浮気をした。クワヤマは、ショウコのことが好きだった。ショウコは、クワヤマの好意に気づいていた。
クタニとイセキは、一人の女のことを同一人物だと思わずにいろいろと話し始めるのですが、イセキはどうも初体験の相手らしい?しかしその後クタニと付き合うまでに「セックスしまくった」と言っています。きっとショウコは、かわいいし、なんていうか、男の人が自分に向ける視線というやつにだんだん気づき始めたんじゃないかと思うんだよね。
浮気をしたショウコ、されたクタニ、その前に二人の子供は流産してしまいます。もっとその前のクタニの言葉たちが、ショウコの体も心もボロボロにしたように思います。なにもかも破綻しかけていたところに、やさしい言葉をかけるクワヤマ。自分のことを好きだという存在に、心はとても癒されたんじゃないかなあ。浮気はなにがあってもだめだろ!という意見もありそうですが、クタニとイセキがこれまたイイ感じにクソ。ダメ男なんだ~。
浮気後のある日の夕食。二人で飼っていたザリガニが、死んでいることに気づきます。
「家族なんて作らないと言ったから死んじゃったんだよ」
みたいな言葉をショウコが言う。そしてショウコは実家に帰ると言って、クワヤマと死にました。
クワヤマとまた新しく生きていく。という選択はできなかったのか。
生きるということは、儚く脆い。
付き合っている時代の光景は、ラブラブな付き合いたてからお互いへの思いやりがなくなってしまう(いや。ショウコはあるけど男性陣にはない)ところとか、なんか人間臭いなと思った。
当たり前の存在というものはなにかをきっかけに急に消えてしまうことがある。言葉・態度・行動、なにもかも、自分に返ってくるからね。しっかりしようね。
誰かに愛されるほうが、楽なのかもしれないな。ショウコがそれにもっと早く気づけていたら・・・。いや愛されたいばかりではだめなのだけど。
だからクタニとイセキは「ショウコはいい女だったな」とか言うけど、そりゃあそうでしょう・・・!ってなっちゃうもんな。おまえらー!
さて、長くなりますのでこのあたりで終わります。山口百恵さんのさよならの向う側は、ある日ショウコがカラオケで歌った曲です。クワヤマはショウコを見つめていました。クタニは、2メロから、自分もマイクを持って歌いだします。クワヤマは、二人を見つめるのをやめました。せつない・・・
みんな。伝えたいことは、伝えられる距離に相手がいるうちに、ちゃんと伝えような・・・!
本当にエロく、いい映画でした。
余談
作中で、「所詮お前たちは”ごっこ”なんだよ。”監督ごっこ”、”女優ごっこ”」とクタニとショウコに先輩監督が言うシーンがあります。
わたしもだな。と思いました。人間ごっこ。じぶんごっこ。
ここで、人間ごっこ / 工藤祐次郎 を思い出す。
歌詞一部抜粋
海の見える町の 海の見えない部屋で暮らす
人の姿をして 人の生活を想う
「好きだ」と言った途端 無性に悲しくなるの
誰もいない浜辺 なぜかしら涙が溢れて止まらない
やがて音楽が止んで ひとりぼっち 取り残されたみたいだなあ
孤独に肩をたたかれる で、その手を握る
海の見える町の 海の見えない部屋で暮らしてゆく
人の姿をして また人を好きになってしまう
この歌を聴きたくなったし、思い出したし、ショウコのようだとも思ってしまう。
めちゃくちゃいい映画と、めちゃくちゃいい音楽に出会えていて、
わたしはめちゃくちゃ幸せもんです。ハッピー!おわり。
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