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友人の定義について想うこと。

めっきり寒くなり、ふと大事なパーカーを貸しっぱにしていた友人のことを思い出した。↓の人物である。


そしてふと彼が過去に作成した渾身のYouTube動画をFacebookでシェアしてみることにした。と、いうのも自分はつねづね「コミュニティの外でも第三者に胸はって紹介できるかどうか」が、友人の定義の一つだと感じるからである。繰り返しになるが↑の人物は井上真悟の友人である。

そしてココからが今回の投稿で書きたい大切なことなのだけど、もしこの投稿で「パンツかぶった動画をアップしてるような人物を友人という井上真悟」を知り、たとえばFacebook友達から外れたり、ミュート機能などで疎遠になる人がいたりしたら、それは自分にとって良いことだと思う。

友人がこのような動画をアップした「理由」に興味なく「外見」で判断する人だと思うからだ。でっかく「洗脳」と入ったシャツを着ていたり健康食品に「うんこ」のワードを入れて売ってみたり、パンツかぶった動画をアップしたりすると離れてく人がでるのだけど、それは生き方がラクになる秘訣であったりすると思う。

残る人が財産。

そんな気持ちで今日はこういう文章を書いてみたのだけど、もしココまでを読んだ人のなかで僅かでも友人の動画を実際に見てみる人がいて、誰かひとりでも笑ったり心に響いたりする人がいたなら、友人のあの頃の覚悟と努力は報われるのではないかと思う。自分としても今日は意味のある投稿ができた気がする。

明日は、ジワジワと進行している井上真悟の200〜1000km級ウルトラランナーのためのオンラインサロンについてを書きます。

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