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競技活動自伝No.16〜げんてん〜

この文章は、書籍『大陸を走って横断する僕の話。』
(2016年11月23日 台湾 : 木馬出版社より発行)      の日本語原稿です。

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〜げんてん〜

アウトドア用品の販売接客を仕事に選んで良かったと思う。二度目のサハラマラソンは装備を更に軽量化した甲斐もあって、最終的に総合27位まで順位を上げることはできた。

大自然は相変わらず厳しく、息を呑むほど美しく、新しい戦友もできた。けどそれだけだった。

初年度に得た体験が素晴らしかったことを確認しただけで、経験を2倍にできた訳じゃない。

きっと同じレース挑戦を続けるほど感動は薄まるに違いなく、何より求めていた答えはレースのゴールには置いてなかった。

そんな僕に転機が訪れたのは、瀬ノ尾の紹介で知り合った「ジャーニーラン」という走り旅協会の会長、御園生維夫さんの

「井上君は、大変貴重な体験をしているね。ぜひ僕の主催するランニングクラブの子供達にレースのお話しをしに来ませんか?」

という誘いだった。

野球やサッカーのクラブチームではなく、児童を対象としたランニングのチームというのは珍しい。

子供と面と向かって話したことなんて僕には、あまりなかったからイメージが湧かなかった。

とりあえず、何か喜んでもらえそうなものを準備はしておこうと考え、サハラマラソンのゴール地点で自分用の土産に拾い集めておいたペットボトル1本分の砂漠の砂を小さなガラスの小瓶に詰めたプレゼントを自作しておいた。

2007年4月26日 -埼玉県戸田市

「のうみそジュニアランニングクラブ」の練習会に集まった約40人の小学生が僕の登場を体育座りで、じっと待っていた。緊張した。

最初は用意しておいたレース中の写真や、大会のパンフレットを子供たちへ見せながら、頭のなかに詰め込んでおいたレースの基本概要だとか、細かい地名だとか、そんな知識をちゃんと教えられるようにと意識してみて…頭ん中でぐちゃぐちゃになった固有名詞は、飛んだ。

80個の瞳に見つめられ、しばらくカエルのようにフリーズしたあと、結局は自分の素の口調で喋ろうと開き直り、砂漠で過ごした約20日分の体験を遮二無二なって子供たちへ伝えた。身振り手振りを交えて、懸命に。

すべて話し終わると、ある男の子は

「おもしろかったー!」
と、ノート片手にサインを求めに来てくれた。昔、授業中にノートのハジに書いていたペラペラ漫画の主人公「一筆書きの走る人」を井上真悟のサインということにして、書いてあげた。

最後に全員に手渡ししたサハラ砂漠の砂の小瓶は「学校の友達に明日自慢しよー」とか言って、無邪気にはしゃぎながら受け取ってくれた。目をキラキラさせながら。たくさんの子供たちが。

それが、どんなにうれしかったことか。

僕がサハラマラソンやその後の過酷な競技挑戦へぶつけてきたエネルギーの根本は、父の自殺に対する怒りや憎しみでしかない。

決して、人に褒められるようなものでもなければ、胸を張れるものでもないと思ってた

のに、そんな僕の行動から生まれたことでこんなにも喜んでくれる人たちがいる。

そのことに、どれほど救われたことか。

子供達と一緒に走って、練習会を最後まで体験させてもらったその日の帰りには御園生さんへ

「ぜひ来週も来させてください」

と頭を下げていた。

「やる気があるならウチのクラブで子供達のコーチをやってみないか?」

その日の御園生さんからの一言を境に「のうみそジュニアランニングクラブ」のコーチとして子供達と過ごす毎週木曜日の放課後の2時間は、僕の1週間で何より大切な時間となった。

屈託なく、笑ったり、走るのが急に怖くなって、泣いてしまったり、お母さんの影に隠れてしまったり、記録会でベストタイムを出したあと迎えに来たお父さんに胸はって笑顔をみせる子がたくさんいたり、そういう素の人間らしさにふれあう中で、僕も素で笑えるようになれていた気がした。

ちゃんと人間に、戻れた気がしていた。

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一冊の書籍原稿を章ごとに配信する連載形式でお届けします。(2019年7月8日〜29日) 期間終了後も、一冊の書籍原稿としてお楽しみいただけます。

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