???「学生さんよ、力が欲しいか・・・?」

「派手な英断をしてきたわけじゃなくて、
ずっと溜めていた思いを消化している」

何年間か海外へ旅に出た過去を持つ人が言っていた言葉だ。

ところで、多くの大学生はこんなことを考えているのではなかろうか。
「海外に行った方が良いのではないか??」みたいなやつだ。

大人や社会から「いいかい学生さん、海外に、海外に行くと良いよ。学生のうちに。いろんなものを見て、自分を成長させるんだ」みたいな言説はわりと聞く。何も間違っていないから誰も疑ったことは無いはず。

そして、海外に出るという経験がその人にとってかけがえのない経験になることも納得できる。それは海外に行ったことのある人から話をたくさん聞いたからそう思えるし、実際、私も数は少ないが海外渡航経験を持つ人間として、海外行って良かったなくらいは思っている。

そして「海外に行くのは勇気がいる。」またこれもよくある話だ。
「一歩踏み出してみよう!」これもまたよく聞く。

思い切った選択を英断というが、大学生が海外に渡航することはしょっちゅうこの英断的な扱いをよく受けると感じている。

例えば、海外渡航以外にも、休学や留学にしても同じことなのだが、「休学って勇気要りませんでしたか?どうやって決断したんですか?」みたいなことを私はよく聞かれてきた。私も、上記と同じでずっと溜めていた「休学してえなあ。休みてえ~」みたいな思いを消化しただけなので、勇気を持って決めたわけではない。


なんというか、最近、大学生、ひいては若者は勇気ある決断が良いみたいな考え方に日々触れすぎているのではないか?と思う。

もちろん、勇気を持って一歩踏み出すという選択方法もある。
ただ、学生にとって良しとされていること(海外渡航、留学、休学、長期インターン、起業など)は「英断をしているんです!」みたいなイメージがこびりついている気がする。

だから、「海外行きたいんですよね~」という思いを持っている学生が「ほらほら行こう!行こう!」「行くなら今!!ほら、決めよう!!」みたいな声にしか触れていない現状を見ると、ちと辛い。

言われる側は、「行きたいって言っているのに、行動していない自分は良くないのでは??」みたいな不穏な気持ちになってしまって、変な焦りと辛さを感じることが結構あったりするんじゃないかと思う。

バックパックしていた人に、「どうやって旅をしようと決めたのですか?」みたいな気持ちの面について質問をする場面をよく見るのだが、だいたい「やりたいと思ったことをやっている」みたいな回答が返ってくる。

英断だけが、行動の源じゃないはずなんだ。


また、「行動力」というワードも我々を惑わすパワーワードだと感じる。
行動力というのはなんだか暴力的だなあとも思っている。

「行動力」って、英断ができるハートの強さみたいな意味を含んでいる気がするのだ。

私はよく「行動力あるね」と言っていただくことが多いが、私は行動力があるのではなくて、ただ単に、なんかこれは良さそうだなみたいなプロジェクトやイベントに参加したり、会いたい人に会っていたらこうなっていただけで、「行動力」という能力を発揮していたわけでない。

そもそも「行動力」は先天的に備わっているものではなく、ただ行動していたらそれが後から結果として「行動力がある」と評価されているまでではないかと思う。
行動力なんてそもそもなかったんや!

ところで、最近、「力は正義であり正解」みたいな価値観が大学にはびこっているなあと感じる。

県立大学は、真面目な学生さんが本当に多いので、なおさら「力 is power(?)」みたいな雰囲気がプンプンしている。

留学してたら、自主プロジェクト持ってたら、インターン行ってたら偉い!みたいなやつだ。

本当にパワーだけが全てなのだろうか、と思う
「海外行きたいなあ」「休学興味あるなあ」みたいな萌芽的な思いをもっとゆっくり育てるような環境になってもいいのではないかなと思う。

萌芽を育てるには、理科で習ったように、日光や水が必要だし、何日かかけて成長していつか実になる。自然と行動に移す良いタイミングが来るはず。

でも、近頃は、勇気を、力を、出そう!!みたいな超強力な農薬を散布されて、焦りや不安などいろいろな弊害が生まれているような気がする。

パワーを妄信せず、自分のペースで進んでいけたらいいなと思う。

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