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いわみの大学生活史①【受験~2年生秋学期】

どうも、いわみです。

最近のいわみは、
「行動力が凄い」
「キラキラしている」
「人を巻き込むチカラがある」
とポジティブな言葉をたくさんいただきます。
とても嬉しい事です。
私がワクワクし、興味津々な姿を見ていただけるのは本当に嬉しい。

でも、私は、皆と同じ人間で、
落ち込むこともたくさんあるし、できないことも失敗も山ほどあります。
未だに、人と比べて落ち込み、焦る。
または、優越感に浸る、傲慢な態度をとる。
部屋の掃除が上手にできない。
一日中YouTube見てだらだら過ごす日もある。
深夜に過食する。指のささくれを自分で剥いてしまう。
スケジュール管理とお金の管理が絶望的に下手。
大学3年生になってやっとまともにバイトができるようになった。

人のイメージは、どうしても、成功した部分やキラリと光る部分だけに注目が行きがちだと思います。
そして、その部分だけがいわみのイメージとして独り歩きを始め、
いつしか私は、
なんか行動力が凄い人、
なんかめっちゃ考えている人、
なんか意識高い人、
なんか人を巻き込む力が強い人 になっていました。

だから、ヘドロのような日々やそんないわみもいること。
そして、そんな日々があるから今のいわみがあること。
私が思い出せるようにこのnoteを書きます。
事実は小説よりも奇なり。私をご存知の方には、新たな発見もあり、まあまあ面白いんじゃないかなと。

それでは、少々長丁場になることが予想されますが、
ごゆっくりお付き合いください。

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【入学前 大学受験、自分の意志はあったのか?】

まず、大学進学を希望したのは、
地元で有名な自称進学校だったので、何の疑問もなく「大学進学が正義」教育を施され、そういうもんだと思い進学。

大学受験、前期で志望していた宇都宮大学国際社会学部(今は学部編成されて違う名前になってると思う)の2次試験で、無事死亡
Twitterに「前期合格しました!」ツイートが流れる中で、「俺は前期落ちたんだがwww」を堂々投稿。

2次試験がセンター利用と面接という超イージーな2次試験の島根県立大学総合政策学部を「まあ、現役で国公立行けるならどこでもいいか」という理由で受験。
当時の興味のある分野(国際協力)の本を3冊ほどアマゾンで買って読んで、高校で面接練習を3回ほど行い、本番。
質問内容を聞き間違えて、確認もせずにその場しのでに答えたりもしたが、
持ち前の「しっかりしている感と好奇心旺盛さ」を前面に出せ、合格。

正直、落ちるわけないでしょと思っていた。
このときから、他人と比較して得られる優越感にどっぷり浸かっていた。
しょうもないプライドが露見している。

そして、なにより、悪い思い出(当時の自分にとっては)の方が圧倒的に多い実家を、遂に出る。大快挙。待ちに待った一人暮らしが始まる…!!!!

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【愛すべき黒歴史になった大学生活前半】

大学生ウェイ①「大学と言えば~~!?」
ウェイ②「バイト!サークル!部活!恋愛!そう、恋愛!!!!」
その他「恋愛!!(れんあい!!)恋愛!!(れんあい!!)」

いわみ「そう!!恋愛!!」

入学前から、「あの先輩めちゃくちゃかっこいい…!」という人に出会い、完全に浮かれた新入生いわみちゃんが誕生しました。

でも、結局この恋愛、半年後にはよくある恋愛失敗談のように振られる。

端的に言えば、都合の良い存在になって終わりました。キープ。
ケープもVO5もびっくりするほどのキープ力。半年は崩れないですからいわみのキープ(され)力。笑ってやってください(笑)
(直接聞いてくだされば、赤裸々に話しましょう。お酒があるともっといいかな。)

この失恋直後、友人に電話をしました。
すると、その友人が

「いわみは、恋愛について、女としてなにも知らなさすぎるんだよ」

し、辛辣~~~~
でも、とても的を射た言葉を、歯に衣着せぬ物言いで伝えてくれました。

この言葉がきっかけで、私は「知ることと考えること」を今後のテーマにして自分の足で自分を変える大学生活を過ごそうって決めました。
見返してやる!!って、復讐心がメラメラと燃えていました。当時のエネルギーは怒りと悔しさでした。

そこからのいわみの快進撃というか、変化はすさまじかったと思います。
とにかく、いろんなことを知ろうと、たくさんのサークル・部活に入部、バイトを掛け持ちする。
恋愛啓発本や女性向け雑誌を買い漁り読みまくる、授業を超真面目に聞く。常にメモ帳を持ち歩き、気づいたことや感じたことをメモする。
強い女性像を目指し(コンサバ系)、ヒールで過ごす、スカートをはく、髪を伸ばす。
たぶん、努力と名付けていいやつをしました。

なにはともあれこの失恋が、大学生活において第1の転換点でした。

結局、大学生活で兼部した部活・サークルの最高数は5つ
入部順に
バド部
ダンス部
学友会執行委員会
国際系サークル「セカイヘ」
学生団体「CAST's」

アルバイトは、最高掛け持ち数3つ
勤めた順に
ラーメン屋さんのホール
大学の研究室での事務作業
お客様との談笑をするやつ

この行動の中で、沢山の人に出会い、お話を聞き、貴重な体験をたくさんさせていただきました。その分、人前に出る機会も多く、企画や課題発見力などの分野で知識や経験が蓄えられ、行動を恐れない気持ちや行動するうえでの感性も磨かれていったと思います。
今の自分ができるパフォーマンスは、この期間があるからこそだと思います。

でも、その一方で、周りの大人やもはや誰だかわからない他人の期待に、そして「理想の自分像」になるために走り続けることが、じわじわと自分の心と体を蝕んでいきました。
過食嘔吐をしました。お酒とたばこが頼りなときもありました。夜中、不安なことを考えては涙が止まらなくなったり、過呼吸を起こすこともしょっちゅうでした。
掃除洗濯がまともにできず部屋は汚部屋に。お風呂に入れないことも多々ありました。
無気力モードが始まると大学を休むこともしばしば。
人の目(特に同じ大学生の目)を過剰に気にしすぎて、お店に行けない。行けたとしても、手汗半端ないし、周りをキョロキョロ、たぶん挙動不審になってました。
さらに、大学生がいないであろうお店まで、つまり浜田市中心街での買い物が無理という時期もありました。
もっと酷い時には、面識のない店員さんと話すのが怖くてドライブスルーにも、フルサービスのガソリンスタンドにも行くことができませんでした。
そんな自分が大大大嫌いで、今すぐにでも消えてしまいたいなあ、なんて。
泣きながら「死にたい、死にたい、もういっそ殺してよ」って、当時の彼氏にとっては迷惑極まりなかっただろうな。ごめんなさい。

でも、そんな心のSOSに、自覚もなくずっとずーっと走る足を止めませんでした。この歩みを止めるという考えがそもそも当時の私にはありませんでした。
「私は外で頑張っているから、とっても疲れているんだな」それくらいの印象でした。

こんな感じで、大学1年生の秋学期(2016年10月)から2年生の秋学期(2018年2月)までの約1年間を過ごしました。
この1年間で、サークルの部長になったり、イベント企画・運営、海外渡航を3回経験したり、はたから見ればなかなか充実した大学生活だったのでしょうか。「意識高いね(※)」って言われだしたのもこの時期でした。

でもそれらの行動は、自分の自信のなさの裏打ちにすぎなかったなと今振り返って思います。
自分に自信がないから自分の判断にも自信がなく、だから、他人の物差しを借り、他人の尺度で過ごしていた。そんな時期でした。

(※正確には「意識他界系」→詳しくは前回ノート参照)

でも、そんな自分に、また、第2の転機が訪れます。
それは、認定NPO法人底上げが主催する『SOKOAGE CAMP』との出会いでした。

→次回へ続く。


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