記憶から消えない看護実習
最初のnote ↓
1つ前のnote ↓
ひとつ前の記事でサラッと「実習も単位も落とすことなく…一発合格で…」と記したけれど、
看護実習はサラッと乗り越えられるものではなかった、
ということを記しておこうと思う。
私の通った学校の実習は、約4~6人のグループ編成で、小児・母性・高齢・地域などの領域毎に病院を回って学んでいった。
各病院で2週間程度患者さんを受けもち、現場の看護師と協力しながらケアを行ったり症状を観察したりして、看護の実際を学んでいった。
まあ大抵どの学校も似たり寄ったりだと思う。
実習の始まりはグループ発表から
クラスの中で、この人とは一緒のグループになりたくないと思っていた数人のうち、2人が同じグループだと発表された。
特に対立等はないものの、発言がストレートかつ語気が強めの人達で私には合わなかった為、普段の授業の時でも最低限の挨拶しかしていなかったのに、
その人たちと1日ずっと一緒に実習、それを約半年間続けると思うと…
憂鬱で仕方なかった。
最初の実習
実習先は家から遠く、その近くの宿泊先を確保する必要があった。
これは後から聞いたのだが、実家や恋人の家が実習先の近くにないメンバーは、私以外一緒の宿泊先だったらしい。
要するに、仲間外れだね。
最初の実習の途中でその事実を知って、だけど実習中教員の前では普通のクラスメートとして関わるメンバーを見ていると、
この人たちはどういうつもりなんだろうと実習後の記録にも集中できなくなるし、一緒に宿泊しているメンバー同士では相談できるから記録物についての教員からの添削指導も少なく、対して私は…と気分が落ち込んでいった。
教員はそんなこと気づいていないから、実習の終わりに集合写真を撮ってグループみんなに渡すし…
最初の実習からしんどかった。
(教員自身は、お疲れ様のケーキをおごってくれたり寄り添ってくれる本当に良い先生だったことは補足する)
その後も
そんな始まりでの実習。
後半の方になると、学生同士で協力してねと教員から言われた日の帰りに、メンバーから「私たちは患者さんの看護でもいっぱいなのに、行雲さんも看護しなきゃいけないの?怒」と言われ。
とある教員からは「看護師に必要なのは"目配り・気配り・心配り"。あなたはそれが欠けてる、看護師に向いているとは思えない、私はあなたが看護師になったら患者さんを傷つけると思うわ」と言われ(今思えば、ストレスフルな学生にそんな言葉を掛けるお前の方が心配りできてねぇよって言いたい)。
それで落ち込んでいるところを現場の師長さんに気付かれてフォローしてもらったり…
その教員の実習のときは自律神経失調症のような症状が出ていたことも教員に伝えたけど、「嘘ついてない?」とか言われるし。
その次の実習担当の教員からは「前の教員から話は聞いています」とよく分からないことを言われた。その当時「あいつ(教員)わざわざ私のことを愚痴ったん?!」と感じていた。
助けになったのは
楽しい思い出なんて一つもなく、
各領域の実習が終わるたびに、当時の彼氏に
「ここまでして看護師を目指す必要があるのか」「ここまで親にお金を使ってもらって学校に行かせてもらってるのは分かってるから、免許も取らずタダでは辞めないけど、愚痴らせて」
と繰り返していた。
実習が終わった頃、
仲良くしていた編入生(=看護師免許あるから看護の実習は無し)と話していたら
「え、絶対痩せたよ、あんなに沢山ご飯食べる人(私)が痩せるなんて、ちゃんと食べてた?実習辛かったんやろ?大丈夫?」
って気にかけられる程だったようで。
…とまぁ覚えてるだけでこれくらいだから、細かいストレスなんてもっとあったと思う、覚えてないけど。
少し前に看護専門学校の一斉退学のニュースがあったけど、
あんなのは氷山の一角で、こんな一介の看護師でもこれだけある。実習中だけで。
よくSNSとかで出てる、実習先の病棟の看護師に挨拶しても無視されるなんてこともよくある話だからな。っていうかあったし。
私は恵まれていたから、挨拶どころかフォローまでしてくれるところが多かったけれど。
入学したときと同じメンバーで卒業することなんてほとんどない。
だけど学生でこんなにしんどくても、「免許を取る」っていう目標があるから乗り越えられたんだなぁ、今思えば。
その目標が達成されて看護師になった私は、きっと学生時代が看護師人生のなかでしんどいピークだと信じて、社会人一年目が始まった。