20231130
久しぶりに地元の友達をフォローしているTwitterアカウントにログインしたら、一人からはブロ解をされ、一人は妊娠後期、一人はわたしと同じ悩みを持っていて「じ、人生、、」となった。
「わたしと同じ悩み」とは「今は独り身でも楽しく生きているけど母が死んだらどうしよう」というやつだ。わたしが今交流している友人たちは母との関係は良好ではあるが、わたしと同等もしくはそれ以上親密な関係の人たちはいないのでいつもわたしはマザコンとして浮いている。誰もわざわざ指摘してこないが多分みんな薄っすらと感じている。
やっぱりわたしは両親との境界が曖昧で対人関係の作り方が依存的でおかしいんだな〜と最近強く感じているところだったが、まさかおんなじことを考えている人が近くにいてびっくりしてしまった。
「ランチや旅行などのおでかけに頻繁に共に出かけて、いつもいろんな話を聞いてくれている母」を失った時に自分は本当に一人で楽しく生きていけるだろうか、いつかの別れのためにも自立した方がいいのではないか、と悩んでいるツイートを見て、まんま去年のわたしじゃん!!!わかるよ!!!その気持ち!と思わず興奮してしまったが、彼女とはもうかれこれ四年以上連絡も取っていないのでリプライを送るのはやめておいた。
母が良き理解者としてこの歳まで生活に組み込まれ過ぎていると母とあとどれだけ過ごせるのかを考えて悲しくなったりする。マザコンなので。友人たちは二ヶ月や半年くらいに一度しか母と会っていなかったり、会ってもろくに会話したりしない人たちもいる。不思議だ。なぜわたしはこうも何でもかんでも母に話を聞いてもらいたくなるんだろうか。別に話したからって全肯定してくれるわけではないんだけど。
多分母がいつもわたしの愚痴もただの日常の話も楽しそうに嬉しそうに聞いてくれるから、母を笑顔にさせたくて面白おかしく話しているんだと思う。昔から「話が上手だね」「面白いから愚痴聞くのも全然嫌じゃないよ」と言ってくれていた。愛だ。その言葉を間に受けてすくすく育ってしまった。聞けば三歳からマシンガントークでずっと一人でお喋りをしている子供だったらしい。さぞやかましかっただろう。
母の愛を受けてすっかりおしゃべりが大好きなずっと一人で喋り続ける人間になりました。
先週母と出掛けて、傘が折れたから新しいの買おうと思ってて、と話をしたらクリスマスプレゼントにとその場で傘をプレゼントしてくれた。愛だ。ありがとう。次は折らないように気をつけます。