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20231116

今日は3ヶ月に1回の婦人科への通院日だった。中学生の頃から生理痛がひどくてしょっちゅう学校を休んでいたわたしには、大学生の時に始めた通院と服薬がもうやめられなくなっている。母に初めて通院を打ち明けた時、母は嫌そうな複雑そうな顔をしていた。
その頃の母は、オーガニックやら食育やらにハマっていて「日本人は昔から日本にある米などの穀物を食べた方がいい。麦は日本人の体にはあっていないらしい。」と言って今までよく食べていた食パンをぱったりとやめたりしていた時期だった。母はそういうのを家族に強要したりしないタイプで、ひとりで始めてひとりで実行していたが、その時ばかりは「なるべく薬を飲み続けて欲しくない」と言っていた。「薬を飲まずにいられるように健康になってほしい」というようなことも。当時のわたしがそれになんて返したか覚えていないけどたぶん「わたしだって飲みたくて飲んでいるわけじゃない。お金だってかかるし!」と反抗的な態度をとったような気がする。
その後この件について母から何か言われたことはなかったが、なんとなく後ろめたいような気まずいような気持ちでお互いその話にはあえて触れないように過ごしていた。薬を飲んでも生理痛がひどくて唸る姿を見た母の目が、何か言いたそうにしていたが何も言ってこなかった。

それが最近になって考えが変わったのか、この前肯定的な話をされてなんだか肩の荷が降りたようなほっとしたような気持ちになった。母の期待に応えたいけど応えられないというジレンマから解放されたような気持ち。母がわたしに何かを望んだりお願いしたり期待を押し付けたりしたことは今までの人生でなかったんじゃないかと思うぐらい自由にそのままのわたしを見ていてくれる人だったから、そんな中で覚えている望みがそれだったのでずっと後ろめたかった。また母がわたしに歩み寄ってくれたのを感じる。ありがとう。

母は子供に対して何かを求めたり押し付けたりすることを何も言わない人だったけど、父と離婚で揉めている渦中の時に一度だけ今までのわたしの言動といかに自分が母親として気を遣ってきたかという話を怒りの中で捲し立てられたことがある。わたしはその時多分言われたことに対して泣きながら謝っていたけど何を言われたのかその細かい内容について全く覚えていない。その後、母も言い過ぎたというようなことを言って二人でごめんねと謝って和解した気がする。母が怒って捲し立てる姿にびっくりしたのとかいろんな気持ちになった気がするが、本当に具体的にどこを嫌だと言われたとかを覚えていない。父に言われた理不尽な要求や言いがかりや言われて嫌だったこと悲しかったことはたくさん覚えているのに、、脳みそってすごい。都合の悪いことは本当に忘れてしまうのね。そのおかげで母と仲良しでいられるわけですが。

年末に退職する人は母と似ている。おっとりしてて穏やかで家事は得意だけど仕事の要領が悪い感じとか、なんかその他諸々良いところも悪いところも似てる。だから尚更寂しいんだろうな。先生の奥さんのせいで退職前にもう一悶着起こりそうでひやひやしているけど、もしかしたらこの退職をきっかけに残される私たちの給料があがるかもしれないらしい。その波にしっかり乗れるような立ち回りをしていきたい。お金欲しい。

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