20231009
好きな人間がほしい。もうかれこれ4年くらい同じことを言っている。彼氏とか夫とかじゃなくて好きな人がほしい。さらにわがままを言うなら甘えたこと言っても受け入れられたい。
先日、友人に「友達多いよね」と言われて「いやいやいないよ」と言ったら「いつもいろんな人と遊んでるじゃん」というようなことを言われた。人からみたらそう見えているんだな〜と思ったが、それは多分わたしが自分に起きたほぼ全てのことをSNSに載せるからだと思う。確かにいろんな人と会っている。
「友達」の線引きは人それぞれだから受け取り方はまちまちだと思うけど、わたしにとっての「友達」は気兼ねなく1対1でも遊びに誘えて、急にくだらない連絡をとれるかどうか、の2点が欠かせないのでその基準で考えると「友達」は少ない。昔は「急に電話ができるかどうか」とかも基準にあったけど、今はもう事前連絡なしに急に電話かけられる相手は誰もいない。相手の生活のことが気になって、電話する前には必ずいつなら電話できるか確認してからかける。優しい友人たちは「いつでもかけてくれていいのに」と言ってくれるけど、なかなか難しい。かくいうわたしも「いつでもかけてくれていいよ!」の気持ちでいるくせに、人からもらうその好意には素直に甘えられない。だから人に素直に甘えられている人をみるとめちゃくちゃに羨ましくなる。きっと当事者からすると、自分が甘えていることやそれを受け入れてもらっていることの自覚がないことが多いだろうが本当に本当に羨ましい。そんな関係を築けることって当たり前じゃないよ、ちょ〜〜〜〜しあわせなやつだからね、噛み締めなよ!!!という気持ちで見つめた。
こういうとき、ひとりで生きるのはやっぱりさみしいなって思う。毎日気持ちがころころ変わる。変わり続ける。頭の中の七尾旅人がローリンローリン、まわり続ける〜って歌い出す。いつかの秋にカーナビで聴いた曲が懐かしい。
これもよく秋に聴いた気がしたけどタイトルは夏だった。記憶がごっちゃになっている。不思議。