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【備忘録】雪に埋もれる思い出

 その家は写真に残っていない。だから記憶を文字にして残そうと思う。私の、父方の祖母と祖父の家。父が産まれた頃には築100年くらいだったと聞く。今は築200年近いはず。
 その家を思い出す時、必ず私は雪景色で思い出す。地球温暖化のせいかだんだん雪が積もる量が減っていたけれど、昔は2〜3m積もっていた。岩手の北上駅から車で1時間ほどの山の中で、その家をいつも雪に埋もれた状態で発見した。真っ白な景色で不意に車が左折するとようやく車窓の遠くにその家が覗いた。
 隣の家まで500mはあったような気がする。田舎すぎて、一軒一軒の家が離れすぎていた。その家は農家で、田んぼが五面はあって、煙草の葉の畑と牛小屋もあって、米と煙草と牛を出荷していた。出荷せずに自分達が食べるための野菜も育てていた。乾燥させたタバコの葉をほぐしている小屋の中で、作業する祖父の横でブランコを漕いでいた記憶がある。小屋の梁から縄を吊るしただけのブランコだったけれど楽しかった。
 土間が大きかったし、一つ一つのスペースが広かった。食卓がある部屋の横のスペースに薪ストーブがあって、薪を燃やして暖を取っていた。灯油ストーブもあっけれど、あまり温まらなかった。それくらい広い家だったと記憶している。天上が高くて梁が黒く煤けていた。300平米はあったかもしれない。記憶はその家を大きく見せている。
 掘り炬燵で炭を燃やしていたから、炬燵に入っている間は足が炭に当たらないように注意する必要があった。雪で濡れた靴下を掘り炬燵の淵で乾かしている内に、靴下が中に落ちて燃えてしまったこともあった。炬燵から出るのが嫌だった。板張りの廊下はとても素足で歩けない冷たさで、スリッパも冷たくて、トイレに行きたくなかった。家の横にある池は冬は凍って、氷面を歩いて遊んでいたら兄が氷を割って氷水に落ちた時があった。心臓麻痺を起こしてもおかしくなかった気がする。
 毎年、その家に泊まっている5日ほどの間に雪だるまを作ったりもしたしスキーにも行った。楽しかった記憶もあるけれど住みたくはないという印象の方が強い。ボイラーで沸かす風呂は不便で、10人以上の親族が全員入るために水で薄めることも出来ず、熱い湯に浸かるのも大変だった。ボットン便所も嫌だったし、トイレに誰か入っている時のために外に仮設トイレのようなトイレもあったけれど、雪の中でそちらのトイレまで行くのも嫌だった。
 隙間風が吹いている気もした。築150年は超えている家なので当然かもしれないけれど。あちこち薄暗くて納戸のような部屋は不気味で、埃が多かった。先祖の人々が使っていたらしい部屋がいくつかあって、その家の全貌を私は知らない。幽霊も座敷童子も出会ってもおかしくない家だ。
 家庭の事情が色々あって、今は叔父が一人で住んでいるはずのその家を、私は最近よく思い出す。その家に住んでいそうな幽霊を見ておけば良かったような気がする。また行こうと思えば行ける気がするけれど。兄も姉も冬は行きたがらないし、他の兄弟も父も行かないのに私だけ行くのも不自然だ。
 でもそんな雪景色の中にポツリと建つ古民家を、いつか小説の舞台にして描きたいと思う。あの家は寂しくて、寒くて、でも私にとって日本の原風景だから。忘れない為に書きたい。神秘的で何かが影に隠れていそうな雰囲気を、文章にして残したい。今の私には上手く書けないけれど、いつか書く為に筆を取る。その家が取り壊される時が来ても慌てないで済むように。

 ちなみに夏は避暑地に最適だった。網戸がない古い家なので窓全開で過ごしていた。おかげてトンボも蛾も出入りし放題で蜂が近くを飛んでてビビったりした。毎年お盆に墓参りに行く時に小山一つ分歩いて墓地に行ったけど蛇は出るわ蚊に食われるわで大変だった。正直未開のジャングル歩いてる気持ちだった。
 それなのにある年、父が「お婆ちゃんが足腰弱って来てるから今年は車で墓地に行こうか」と言い出した。
 いや車で行けたんかーーーい!!

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