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時を経てコロナ人災禍に思う・⑥ ~周囲に抱いていた思い、近況〜

最近では一切そのような事は無くなりましたが、一般国民の遺伝子注射の接種開始から数ヶ月間、遺伝子注射の話題となり接種歴の有無を尋ねられる事がよくありました。

大半は仕事絡みでそうした質問をされていたのですが、私はその都度「一度も接種していませんし、今後もその考えはありません」と明言していました。

何故ならば、その場を取り繕うような物言いをしたところで後々業務にも影響が出るでしょうし、この私の返答でもし仮に就労出来ない、ポジションを外されるなどの流れとなったとしたら、それこそこちらから願い下げというものです。

幸いにも接種を強要されるような事は一度もありませんでしたが、決まって返って来る言葉が「接種しなくて本当に大丈夫ですか?」というもの。

またある時は、知人との会話中に同様の流れとなり、更に「実際に新型コロナと思しきものに罹患した」と述べたところ「接種せず後悔していないのか」とまで言われてしまいました。

私にとってこれらの言葉はただ滑稽でしかなかったのですが、これが世の中の一般的な認識なのだと気付かされる場面でもありました。

何度接種しても感染・罹患を繰り返す方が少なからずおられる事。
そして私のように、接種せず罹患し、軽症ですぐに治癒する者が居るという現状。

上記の場面に遭遇する度、大衆の目にはこれらがどのように映っているのか、どう捉えておられるのかと問うてみたいと思っていたものでした。

そこで今回は最終章として、このコロナ人災禍において私が周囲に抱いていた思い、騒動全般を通して感じ取って来た事、また近況に思う事までを綴ってみたいと思います。




同志といえども


コロナ人災禍において、同じ(似た)感覚や考えを持ついわゆる「同志」の存在は本当に心強く、私も幾度となく励まされ助けられて来ました。

私自身、一時期そうした集まりに積極的に参加していた事がありましたし、SNSを通して繋がった方も多く居らっしゃいます。

しかしながら、こうした結び付きであっても何処か相容れないと感じる方が一定数は出て来るもので、ひとたび違和感を抱いた私は、物理的な集まりからも、またSNSからも次第に離れて行きました。

新型コロナを恐れている人、マスクを外せずにいる人、遺伝子注射(ワクチン)を盲信する人に対し、馬鹿にした態度を取る、攻撃的な言葉を浴びせる。

或いは、信憑性が無いからと、発信された健康情報(自然療法・民間療法なども)をあからさまに否定し、わざわざ噛み付くような物言いをする。

特にSNS上でよくこうしたやり取りが見て取れましたが、目にして決して気持ちの良いものではありませんでした。


また同志に見られる傾向として、毎日の食事に気を配り良質な食材や調味料を選んでおられる方、身体に良くない物(例えば台所洗剤や洗濯洗剤などの化学物質)を取り込まぬよう心掛けておられる方が多い印象ですが、これに関しても首を傾げる場面が多々ありました。

自分が気に入っているから、自分に合っているからと、しきりにその方法や商品を推し進める。

私自身の経験ですが、某SNSで何気なく天日塩の味比べを楽しんでいると書いた時の話。

一フォロワーさんからコメントが寄せられたのですが、私が気に入っているそれらの塩に対してでもなければ味比べを楽しんでいる事に対してでもなく「こちらの塩が良いので試してみて欲しい」という内容でした。

私自身、件の塩も既知の通りだったのですが、相手は私がその存在を知らないとでも思ったのでしょう。

その後今度は嗜好品に関しても全く同じ物言いをして来られたのですが、さも「私は貴女よりも物を知っている」とでも言いたげな様子で、自身の知識を誇示したいようにしか感じられませんでした。


またある時期には、同志の集まりで知り合った方から頻繁に連絡が来るような状況が続いたのですが、私はこれにも手を焼いていました。

各々ライフスタイルが異なる訳ですから、当然ながら電話に出られない事もままあります。

着信があれば空き時間に折り返していたのですが、今度は相手が電話に出ない。

用件を知りたい私としては、留守電にメッセージを残すかショートメールでお願い出来ればと何度か伝えたのですが、当人はあくまでも着信(履歴)を残すのみ。

そうしているうちに私は、「音声や文字が残っては都合の悪い事でもあるのだろうか……?」と疑問を感じ、よく有りがちな宗教の絡みか、はたまたネットワークビジネスの勧誘かなどと邪推するようになってしまいました。

最終的には連絡が途絶えたので良かったのですが、後に知ったのが、その用件の大半が、おそらくは自身が主催する各種セミナー参加への誘導だったという事。

偶然に見付けた当人のSNSアカウントで全て繋がりました。
連絡の来るタイミングとセミナー開催の告知時期が、見事に合致していたのです。

予想の大半は当たっており、やはり商業的な匂いが感じられた為、深入りする事なく疎遠となって良かったと安堵しました。

セミナーにも様々ありますし全てを否定するつもりはありませんが、少なくとも自身の関心事でないものに参加したいとは思えませんからね。


又、私自身が痛手を負った話ではありませんが、身体に良いからと家族が好まない、食べたくないという物まで食卓に並べ、健康を意識するがあまり細部にまで拘り、あれは駄目これは駄目と頂き物まで徹底的に排除しておられる方が居らっしゃいました。

当人の話によると、家族間で意見が割れ、楽しく食卓を囲むどころでなくなってしまった様子が伝わって来たのですが、第三者の目線から見てもあまりにも不自然で偏った考え方ですし、当然の流れとしか思えないのです。

確かに私自身も、生活する上でなるべく無農薬・無添加やオーガニック食材、身体の負担にならない物を取り入れるように心掛けてはいますが、どのような物でも過信している訳ではありません。

例えば国産であっても100%安心安全とは言い切れませんし、また国産でない物でも良質の物は存在します。

幾ら自分以外の誰かが「これは良い」と述べていたとしても、自分が美味しいと感じる物、使っていて心地良さを感じる物、更には家族も同様に喜んでくれる物でなければ意味が無いのです。

身体に良くないとされる物を頂く事もありますし、時に外食が続いたり、どうしても自炊が難しく市販の惣菜や加工食品に頼る事もありますが、それが毎日続く訳ではありません。

そのような非日常も、私は逆に気分転換になって良いと捉えています。


言うなれば、上記いずれの場面も、その印象としては共通して自身のフラストレーションの捌け口にしている、八つ当たり、或いは優越感に浸りたいだけというところでしょうか。

狂ってしまった世の中に怒り、物を申したい気持ちは同志としても痛い程わかります。

しかしながら、恐れる人達、知識を持たない人達、自分と同じ考えに至らない人達を蔑んでみたところで何の解決にもならないばかりか、伝わるものも伝わらないというもの。

これでは反対派(私自身これらの言葉も好きではありませんが、いわゆる「反コロ(反コロナ)」「反ワク(反ワクチン)」)は利己的、反社会的、全て悪と捉えられ、分断から破滅へと繋がるだけ。

単に文句が言いたいだけなのか、少しでも周りの景色を、今のこの世の中を変えて行きたいのか。
その心持ちによって、口にする言葉や物の言い方、行動は変わって来るのではないかと思うのです。


ちなみに私は今現在、直接的な繋がりのある(直接的に連絡の取れる)同志の方数人と交流を持つのみに留めています。


すれ違う心に思う


「詩絵璃さんのところは家族仲も良くて、皆考えがまとまっていて羨ましい」

これも一時、私が同志の方々によく言われていた言葉です。

こうした物言いをされるのは決まって親子間、兄弟(姉妹)間、夫婦間で騒動に関する認識の相違、果ては食事や生活習慣に対する考え方の相違で揉めている(いた)方々なのですが、中にはぶつかり合った末、離婚にまで発展したケースも身近にありました。

確かに私は、家族親族らとは騒動の絡みで一度も揉めた事はありませんし、幸いにして家族親族の大半が同じ方向を向き、恵まれた環境の元で過ごしていると言えるのかも知れません。

けれども私は、何も特別な事をした訳ではありません。
ただシンプルに自分自身が「それまでと変わらず素顔の日常を送っていた」だけ、元々根付いている質素な食卓を囲み、生活習慣に留意し朗らかに穏やかに過ごしていただけなのです。

そうした上で、家族親族の誰かしらに奇異の目で見られる、疑問視される、否定的な言葉を貰う……そんな流れも想定していた事ですし、確かに最初はそれに近い事も何度かありましたが、わざわざ戦う、抗う事をしなかったというだけの話です。

あくまでも私の土台となるものは「素顔で居るのが普通の事」であり、笑い合いながら食卓を囲む事に重きを置いていた事。
新型コロナの各々の認識や考え方の相違など他の事は二の次、後から付いて来る話というスタンスで居た訳です。

こうした思いが自然な形で家族親族に伝わったのかも知れませんが、もし結果としてそれが効を奏し、遺伝子注射やそれに付随する事柄との向き合い方をも各々が真剣に考える原動力となったのだとすれば、私にとっては何よりの幸いです。

全てがそうとは言い切れないかも知れませんが、否定を否定で返してみたり、いくら相手に解って欲しいからといって、自分の考えは絶対だと言わんばかりに、頭ごなしに押し付けのような言葉を投げたりしてはいないでしょうか。

この騒動を機に、それまでの食事や生活習慣を見直された方も多く居らっしゃるでしょう。

しかし家族の思いを汲む事なく、にわかに、それも一方的に状況を変えようと躍起になってはいなかったでしょうか。

以前から家族規模でそれに近しい食事や生活を基盤とし根付いているのならばいざ知らず、それまでほぼ無頓着だったにも関わらず、聞きかじり読みかじりで突然に自然派に転換しようと独走したところで、家族の心が付いて来る筈などありません。

一連の騒動が、マスクが、遺伝子注射が人を変え、人と人とを引き裂いた。
確かにそうした見方もあるでしょう。

しかしそれは、元々あった個々の本質が炙り出され、そこに持って来て夫婦関係、親子関係、兄弟姉妹関係の脆弱さが顕在化したに過ぎないと思うのです。

それを考えると、良い方に捉えればこの騒動は対人関係を推し測るリトマス試験紙・試薬であり膿を出す解毒剤であり、また各々の成長材料であったとも言えるのではないでしょうか。


恐怖心を抱く友人らと


先月半ば過ぎの話です。

1年と3ヶ月ぶりに友人2人と会う事になり、約束の場所へ。

待ち合わせ時間よりも早くに到着してしまった私は、先に着席して待つ事に。

最初に現れた友人A。
1年3ヶ月前に会った夏真っ盛りの頃と同様に、今回もやはりマスク姿。

ちなみに彼女、その当時3度の遺伝子注射接種を終えた後で、まさに3度目の正直でかなり強い副反応(副作用)に苦しんだと述べていました。

しかしながら、彼女自身がそうした体験をしたにも関わらず何ひとつ疑問視する様子も見られなかったので、以後は私もあえて関連する事柄には一切触れずにいたのでした。

また彼女には1年前の時点で私自身と主人のコロナ罹患体験をかいつまんで話してあったのですが、対面するなり「体調はどう? 後遺症は無い?」との言葉。

友人Aのその様子に、1年にも渡り心配を掛けて申し訳なかったとの気持ちもありつつ、やはり彼女にとっては未だコロナは恐れるべきものなのか……との思いを同時に抱きながら、私はありのまま、思いのままを口にしました。

「会社の指示で主人は受診せざるを得なかったけれど、夫婦共々、特別な治療もせず水分補給と休養のみで何の後遺症も無く完治した」と。

……すると。

友人A曰く「私の友達なんか、罹患してもう何ヵ月も経つのに後遺症に苦しんでいてね……」との返答が。

何やら、後遺症の症状としてよく聞く倦怠感、そして自律神経症状と思しき浮遊感や目眩で、車の運転に差し支えるようになったとの事でした。

私自身、この時期に及んでまでこうした話題は避けたかったのですが、友人の方から持ち掛けられたとあっては話はまた別。

もしかしたら……と念のため確認してみると、既に数回の接種済み。

私が「それ、コロナ後遺症というよりはワクチン後遺症じゃないのかな……?」と疑問を投げ掛けると。

「それは無いな」と一蹴、即答する友人A。

目の前の友人Aも、そしておそらくそのご友人も、遺伝子注射が体調不良の誘引となっているかも知れないとは微塵も疑っていないのです。

更に、数回の接種を経てなお感染・罹患しているという事実に着目する事、疑問視する事も無い。

そうした場合においても、これまたよく有りがちな「接種していたから、罹患してもこれだけ症状が軽く済んだ」という概念でしょうか。

勿論、そうした考えを完全に否定するつもりはありませんが、果たしてそれが、この遺伝子注射にも当てはまる話なのか。

また同日、友人Aに続いて現れた友人Bが「7度目の接種を予約済み。これで安心」などと自ら伝えて来た時は、流石に私も返す言葉が見付かりませんでした。

無理もありませんね。
人間、自分の中にあるものしか信じられませんし、何より2人の友人らの中に、未だコロナは怖いもの、だから命を守ってくれる接種は必然という思いが深く根付いている以上、それを覆す事は誰にも出来ないのですから。

私には私の思想・思考があるように、友人らには友人らのそれがある。

自分自身の感覚や思い考えを曇りなく受け止め大切にする事はあれど、「私は絶対に間違っていない」などとも言い切れない。

どちらが正しいとか間違っているとか、そんな事を論じるつもりは毛頭ありません。

いずれにしても当日は私の中でモヤモヤとした気持ちの残る再会の日となりましたが、今はただ、友人らが何事も無く元気で居てくれる事を願うばかりです。


コロナ人災禍は今も~終わりに


テレビを点ければ、今度はインフルエンザが猛威を奮っていると強く印象付けるような報道ばかり。

新型コロナとの同時流行だ何だと煽るだけ煽られた結果、またしても恐怖を植え付けられた方々が接種に向かう流れが出来ているように見て取れます。

インフルエンザと新型コロナのワクチンを同時に、双方の腕に接種するケースも珍しくはないようですが、それほど日を置かず、更に帯状疱疹ワクチンの接種も済ませたという方の話を聞いた時は、他人事ながら驚愕してしまいました。

またつい先日11月11日(土)には岸田首相が7度目の接種を終えた様子ですが、これが果たして国民の目にどのように映っているのだろうかと思わずに居られません。

新型コロナワクチン(遺伝子注射)接種後の被害件数。

国を相手に、被害者遺族による集団訴訟が起こっている事実。

新型コロナワクチン(遺伝子注射)による健康被害が、過去45年間全てのワクチン被害認定件数を超過している事。

またパンデミック条約が、IHRが何たるか。

細かいところまで数え上げればキリがありませんが、国民が知るべきこうした情報はひた隠しにされ、尚もワクチン(遺伝子注射)を推し進めようという異常さ。

複数回の接種の後に感染した為ワクチンには効果が無いと実感した、或いは、副反応(副作用)があまりにも酷かった為に以後接種はやめたなどの声も多く上がる中、未だ転換出来ずにいる方々も居らっしゃる現状。

先述の友人2人との会話も含め、周囲を見渡せばまだまだこのコロナ人災禍は続いている、そしてこれからも続いて行くのだろうと感じられてなりません。

こうした世相の下、未来に希望も持てず過ごしておられる方も居らっしゃるかも知れませんし、あまり楽観視ばかりしてもいられませんが、私自身、家族親族や友人との繋がりを大切に、健やかに日々の生活を送る事を第一に考え歩んで行こうと思っています。


関連記事を最初に投稿した日から早や2ヶ月。
2~3編で書き終える予定でおりましたが、文字にしているうちに次々と思いが浮かび、ここまで尾を引いてしまいました。

今現在、続編を綴る予定はありませんが、今後もし何らかの形で関連する出来事などありましたら再び筆を取ろうと思っております。

長らくまとまりの無い、それも独りよがりな文章にお付き合い下さり、心より感謝申し上げますm(_ _)m


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