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時を経てコロナ人災禍に思う・③ ~対人関係の移り変わり、家族親族との結束〜

新型コロナそのものしかりマスクや遺伝子注射(ワクチン)の是非しかり、考え方捉え方、認識の相違により家族仲や友人関係に亀裂が入った。

職場で新型コロナ陽性者が出て、ワクチンを打たない社員が犯人扱いされ退職に追い込まれた。

……よく耳にする話でしたが、 これら何れも、私の身近でも実際に起こっていた(いる)事です。

私の体感として、特に前者は自身と繋がりのある同志の少なくとも約半数ほどが経験しているようにさえ思えます。

私自身もまた、騒動の始まり以降疎遠になってしまった友人や繋りの切れた友人が幾人もおり、それまでの対人関係が大きく動いた事は確かです。

前回、前々回とコロナ騒動に対する私自身の思いを綴って来ましたが、今回の記事では、改めて騒動によってもたらされた対人関係の変遷に触れてみたいと思います。





別離への道筋


2020年2月下旬。
全国の小中学校、高校、特別支援学校に臨時休校が要請され、また県内でも初のコロナ感染者が確認されたと報じられた頃でした。

突然の臨時休校とあって、共働き家庭の親御さん達は皆一様に困った事になったと述べていましたが、当初は3月2日から春休みをその期間とするとされており、私自身もまた、その時期を経たら通常通りに戻るのだろうと思っていました。

この時はまだ、各々が何処か新型コロナは遠い話という認識だったのか、周囲もそれほど騒いではおらず、またマスク姿の人を殆ど目にする事も無かったように思います。

3月上旬、年度末の繁忙期。
私は毎年冬季間~春(年度末)に掛け就労していた職場で仕事に追われ、慌ただしい日々を送っていました。

下旬ともなれば余裕が出るだろうと、同僚らと労いの会食を計画し、その日を楽しみにしていた頃でもありました。

ところが、日に日に国内の様子が変化。
県内でも、春恒例の大きなイベントが中止となり、下旬に向かうに連れ飲食店が次々と休業。
予約していた店も当日の営業状況が掴めず、結局同僚らとの会食は延期。

フリーランスの身である私は年度末で一旦職場を離れ、例年ならば次の冬から再び就労の流れとなるのですが、その目前、秋に父が他界。
それに伴い帰郷する事となった為、この年を最後に契約を終える形となりました。

同僚らとは連絡を取り続け、数ヶ月後、延期となっていた会食を実現させようと再び声を掛けたのですが……。

「コロナが落ち着いたら会いましょう」

……返答はこの言葉でした。

以後、チームメイトの誰とも再会せぬまま今に至ります。

職場の同僚のみならず、複数の友人もまたしかり。
右へ倣えで上記の言葉を唱えるのでした。

連日の煽り報道によって、これでもかこれでもかと恐怖心を植え付けられ続ける国民。
無理もない話だったのかも知れません。

このような流れを経て疎遠となり、そのまま別れへと繋がってしまった関係が幾つもありますが、おそらく私と同じ経験をされた方も多く居らっしゃるのではないでしょうか。


父の死が運んだ別れ、再会、交流


2020年秋。
先にも述べた父の死によって、私は職場環境のみならず生活基盤である住環境の変化をも受け入れざるを得なくなり、長らく住み慣れた地を離れ生まれ故郷に帰る事となりました。

もう2度と戻るつもりの無かった生家とその敷地は荒れに荒れ果て、先ずこの目の前の惨状をどうにかしなければならない……そのような状況でした。

それは、親しくしていた隣人、徒歩すぐの近所に住まわれいつも良くしてくれていた大家さんとの別れをも意味していました。

同僚や友人との再会も叶わぬところに持って来て、追い討ちを掛けるようなこの現実。
本当に身を切られる思いで一杯でした。

そして。
悲しんでいる間もなく、同時に幾つもの再会が訪れました。

それまでの数年間、互いに殆ど往来の無かった2人の妹達と既に父とは離婚済みの母。
それを筆頭に父方の叔父、郷里の近隣住民。
果ては、かつて父の愛人であり後妻となった女性(父とは数年前に離婚)。

父の死によって、これまで疎遠にしていた親族や関係者らと再び対面・接触する事にもなったのです。

騒動が始まって僅か半年と少しで、私を取り巻く環境はガラリと一変してしまいました。

(※なお、帰郷に纏わる話は後に書く予定で居た相続・空き家問題に関する別記事で触れる意向の為、ここでは省略します。)

妹達とは相続に関する手続きや墓地の契約などの絡みで頻繁に話し合いの場を設けていたのですが、同県内とはいえ各々の居住地が離れている為、その中間地点に位置する飲食店で会食を兼ねる事もしばしばでした。

またその際、下の妹の実子である甥と姪、そして母も同席していた為、言わば毎週末に家族会を催していたような時期でもありました。

こうした状況下、何処へ赴くにもマスクを着けず平然と動き回っていた私と主人に対し、肉親らもまた、当初は奇異の目で見ていました。

それに対し私は、わざわざ「コロナは茶番だ」などと反論したり、当然ですが、彼らに向かってマスクを外すよう強いたりする事も一切しませんでした。

前(前々回)の記事でも触れましたが、そもそも私の中で「素顔で居る事」がごく普通の概念でしたので、あくまでもその姿勢で居ただけの話です。

そして。
そんな我ら夫婦の思いが自然な形で伝わってか、下の妹を筆頭に甥と姪(当時いずれも高校生)もまた、早い段階で素顔の日常を取り戻して行きました。

妹も甥も姪も、誰に強いられるでもなく自ら進んで学びを深め「この世の中はおかしい」と気付き、特にその後大学に進学した甥は、さも新型コロナを炙り出す検査として引き合いに出されていたPCRの機序を学ぶまでになりました。

再会した人物の少なくとも半数は私にとって忌まわしい過去、忘れ去りたい過去を思い起こさせる対象でもありましたが、再び肉親らと交流を持つ事となったのは本当に幸いでした。


届いていた想い


2021年早春。
いよいよ一般国民の遺伝子注射(新型コロナワクチン)接種目前。

おそらく高齢の親族には真実はおろか有力な情報も行き渡っていないだろうと、私は主人と共に最後の声掛けをしていました。

自分の言う事は疑って貰っても構わない、陰謀論者と思われても構わないから、とにかく調べて欲しい、調べる術が無いのならば、本当にこの接種が必要なのか真剣に考えて欲しい、と。

その甲斐あってか、義父母(主人の両親)も義弟(主人の弟)も接種を踏み留まってくれました

特に長年専業主婦の義母はテレビや新聞の情報だけが頼りというような状況ではありましたが、自らの体感か特別新型コロナを恐れている様子もなく、柔軟にも「どうせ多くの人と接触がある訳でもないから」接種はしないと宣言

義父は基礎疾患こそ持ってはいるが、既に現役を退いているので接種の必要性も感じられないと、これまた接種せず

義弟は「職場で職域接種がある訳でもないし、わざわざ集団接種会場まで出向くのも……」と、元々接種に対してはとても消極的な姿勢でした。

これまた基礎疾患持ちの私の母は、テレビや新聞の情報など何処吹く風で、いとも簡単に娘である私と妹の言葉を馬鹿正直に受け止め、接種しないばかりか、何と友人らに「あんなもの、打ったら駄目だよ」啓蒙のような活動までしていました。

一歩間違えば対人トラブルを起こしかねない根が単純で真っ直ぐな母の性格が、結果的に良い方に作用した(?)ケースとも言えそうです。

……と、このような訳で、少なくとも接触した肉親・親族の誰もが私の話に耳を傾け、馬鹿にする事なく最後まで聞いてくれました。

おそらく彼らの大半は、最初は私の述べる話など絵空事と思っていたでしょうし、また彼らが1度も接種せず安堵しているというのも、単なる私のエゴかも知れません。

しかしながら一部の親族複数人は数回の接種を終えており、そのうちの1人に薬害が出てしまった事実(※前回記事『時を経てコロナ人災禍に思う・② 「遂に身近にも」項に記載』)を思うと、エゴでも誤解でも接種を思い留まってくれた肉親・親族らには敬意を払いたい思いでもあります。

件の薬害を発症した当人は今現在、幸いにも日常生活を送れるまでに回復。

一時あまりにも辛そうで、どうか自分の身体治しに努めて欲しいと何度願ったかわかりませんが、電話越しに元気そうな声を聞いた時は目頭が熱くなりました。

一筋縄では行かない、良い事ばかりではありませんでしたが、少なくとも私自身は家族親族の誰とも揉めたり仲違いしたりする事も無く、寧ろ結束がより固まった実感があるだけに、とても恵まれていたのだと思います。

次の記事では、再び時を戻し2020年秋のもうひとつの再会、そしてそれを取り巻く環境によって起こった出来事から弊害を主題に綴ってみたいと思います。

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